Baby's breath

「っ…!」
「こら、動くな」

彼女がひく、と跳ねる度、軽く波立つウェーブな髪が揺れ、フルーティーな香りが風に舞い、彼に甘く囁いた。

「…どうやら、捻ったらしいな。何か飲み物を買ってくるから、少しここで待っていなさい」
彼は、彼女の足を包むように触れていた両手を離すと、自身の黒ジャケットを彼女の肩に羽織らせた。
「…何が飲みたい?」
ベンチに座り、潤んだ瞳を守るように、長い睫毛を伏せる彼女に目線を合わせる。
「…何でもいい」
ぼそっと呟くと、りんごの如く赤く膨れた頬をして、彼女はふぃっと顔を逸らした。
彼は、そんな彼女の頭をぽんぽんとやさしく叩くと、さっと身を翻した。
彼女――珊瑚は、横向いた顔はそのままに、眼で彼――弥勒の動きを追い、その姿が見えなくなると、風船が萎むように首を垂らした。
「はぁーー」
いくら吐き出したって、心の憂さはなくならない。
珊瑚は、捻挫の原因である、リボンがアクセントになった、ウェッジソールをころっと蹴った。
下向いた視界で、シフォン素材で淑やかな色合いのワンピースの花柄が、やけに強調されているような気がした。

(あたしには、似合わないってことかな…)


じわ…
その花を潤すが如く、涙がぽた、ぽた、と溢れた。

(…かごめちゃん、ごめんね。やっぱり無理だよ…)

疼く心と対照的に、公園で遊ぶ子供たちの賑やかな声が、夕焼けのオレンジに木霊した。


珊瑚が二つ年上の弥勒と付き合い始めることとなったのは、つい3ヶ月前のこと。

高校入学後、親しくなったかごめを通して弥勒と知り合った。
百人斬り、と噂されるほどの彼は、いつも沢山の女に囲まれて、華やかな雰囲気を纏っていた。
しかし、弥勒が意図して人を呼び寄せているのではなく、その黒曜の瞳に吸い込まれるように、自然と惹き付けられる魅力が彼にあることは、一目瞭然だった。
珊瑚は、かごめの言う“基本的にはいい人”の意味はそれとなく感じつつも、真っ直ぐな気性を持つ彼女は、軟派な彼の一面を毛嫌いしていた。
顔を合わせる度にちょっかいを出されることも苦手だった。

…しかし――
彼に逢うだけで、否、彼の姿を眼にするだけで、舞うように心が踊る。
彼の傍に他の女がいるだけで、鷲掴みにされたように心が痛む。

彼のやわらかな声を聞くだけで
彼の深い瞳に映るだけで
彼の大きな手に触れられるだけで


狂おしいほどの幸せに浸る自分がいることに、珊瑚が気付き始めた頃には、弥勒の真面目さや誠実さを知るほどに、二人は親交を図っていた。

―友達以上、恋人未満――

そんな言い回しがぴったりな曖昧な関係が続き、出会って一年、弥勒が卒業の日を迎えた。
この日、珊瑚は自身と向き合うことから逃げ続けてきた己とさよならすべく、自らの想いを伝える決意をしていた。
かごめの計らいで、弥勒と二人きりになったまではいいものの、極度の緊張で声を発することすらできない彼女を包み込んだのは…

初恋の如く淡い桜の花弁でなく
想いの強さを思わせる春風でもなく
輝く思い出の数々が染み込む校庭の砂利でもなく

間違いなく、大好きな弥勒本人だった。

それから、大学、高校と、生活の場は離れてしまったけれど、放課後に待ち合わせをしてショッピングをしたり、一人暮らしを始めた弥勒の部屋で料理を作ったり、図書館で一緒に勉強をしたり、時には遠出をして素晴らしい景色を眺めたり…共に過ごす時間、共に見たもの、共に味わったもの…共感したこと全てが、二人の想いを育んでいった。


弥勒も珊瑚も、相変わらず、異性から好かれる方だったが、お似合い、と誰もが太鼓判を捺す彼らの幸せを、邪魔する者はいなかった。

―永遠さえ、感じられる――

そんな日々を送っていた先日、事件は起こった。

平日の夕方、映画館にいた時のこと。
弥勒の大学の同級生数人と出会した。
珊瑚は、一歩下がった位置で、彼らと言葉を交わす弥勒を見、意味もなく焦燥感に駆られた。

―自分の知らない人と語らう彼に、決して自分は届かない、大人の世界を感じた――

「この女(こ)が噂の可愛い彼女?」

ぎゅぅ、と制服のスカートを握り締めた。
彼と過ごした時間が一番長いこの服が、妙に子供染みた気がして恨めしかった。

それから珊瑚は、弥勒と二人で人気の多い場所に出歩くことを躊躇った。
次第に彼自身を避けるようになり、口数も減り、笑顔が消えた。
珊瑚をずっと見守り続けてきた唯一無二の親友、かごめは、彼女の変化にいち早く気付き、それとなく話を聞き出した。
同性としても認められる、珊瑚の溢れんばかりの魅力をかごめは誰よりも知っていたが、それをどう口にしたところで、自覚してくれる彼女ではないことも心得ていた。
それでも珊瑚に自信を持って欲しくて、彼女を街に連れ出し、大人っぽく女の子らしい洋服と靴を買い、この日のデートの約束もさせた。
また、今朝になって家の中で渋っていた珊瑚の元に、突然現れ、メイクと髪のセットをしてくれた。

恰好に合うバックも貸してくれた。

「珊瑚ちゃん、弥勒先輩は、大人っぽい人でも、年上の人でもなく、珊瑚ちゃんが好きなのよ。だから、ね、自信持って」

手を握り、力強く勇気付けてくれるかごめに、これ以上なく感謝した珊瑚の涙腺がゆるんだが、泣いたら化粧落ちちゃうでしょ、と止められた。

そして、久しぶりの再会を果たした弥勒と珊瑚は、水族館を満喫していた。
最初はぎこちなかった二人だが、珊瑚の緊張が溶けていくにつれて、逢えなかった時間を埋めるように会話が弾んだ。

しかし、帰り道、慣れない高さのある靴を履き、歩き詰めだったためか、足が痛くどうしようもなかった珊瑚は、我慢し続けていたが、ついには転んでしまい――今に至る。
大丈夫か、とあたたかく彼に支えられる姿を、幾人かに見られ、恥ずかしさのあまり死にそうだった。


元気な子供たちが家路につき、静まり返った公園に、哀愁が漂う。

(あたしは…弥勒先輩と一緒にいられるだけで、すごく嬉しい。でも、よく考えたら、あたし、いつもこうして迷惑かけてばっかりだ。…やっぱり先輩には、あたしなんか相応しくないんだ。この間の人たちのような、もっと大人で、綺麗な人が似合うんだ…)


「っう…」
鮮やかな花柄が、皮肉めいている気がしてくしゃ、と握った。

想いが叶ったと思っていた
だけど
それは勘違いだったのかもしれない
決して届かぬ想いに
彼が手を差し伸べて
汲み取ってくれただけだったのかもしれない

そうだ
あたしは一度だって
溢れるこの想いを
彼に言葉で伝えたことはない

好き
だけど
締め付けられるほど苦しい

そんな相反する想いの対処を知らぬ乙女は、ただ涙を流すことしかできなかった。

ふわ…り…

「…!?」

突然、目の前が真っ白になった。

弥勒の腕時計が、夕陽に照らされ光を発しているのを見、珊瑚は我に返った。
「弥勒、先輩…?」
珊瑚は後ろを振り向いた。
彼は、いつの間にそこにいたのか、左腕を伸ばし、それを差し出している。
「受け取ってくれないんですか?」
そこで初めて、それの存在を意識した。


白く
小さく
素朴で
可憐な…
かすみ草の花束が、夕風にさわさわと揺られていた。

言葉もなくそれを受け取り、じっと見つめていると、弥勒が静かに隣に腰を下ろした。
「珊瑚、お前が何を悩んでいるのか、私なりに理解しているつもりだ。…それに、誰かさんにこっぴどく叱られてな」
「…もしかして、かごめちゃん?」
「ああ。お前に悲しい顔をさせて、これ以上泣かせたら許さないと言われました」
「かごめちゃん…」
「珊瑚」
弥勒は彼女の濡れた頬を拭った。
「こういう恰好もいいが、お前の心が無理をしていては、何も始まらない。いつだって、自然体のお前でいて欲しい」
「弥勒先輩…」
その瞳に魅せられる…が。
「でっでも…無理をしているのは、先輩の方でしょ?あたしに世話ばっかり焼かれて」
「ある意味、そうかもしれん」
ずきん、と胸が鳴る。
「…逢う度に美しくなるお前が心配でな」
「え?」
「傍にいないと、他の男に持っていかれそうで怖い」
弥勒はそう言いながら、彼女の肩にかけた、自身のジャケットの袖を手に取った。

―彼女はおれの女だと、表すために置いていった――

「じゃ、じゃあ、あたしたち…」

「ああ。私たち、同じことで悩んでいたんだな。バカップルとはこのことか」
珊瑚は、彼が滅多に見せない、屈託のない笑顔を見て、鎖に縛られていた心が解けていくのを感じた。
「お互い、考えすぎだったのかもしれん。それで、初心に返ろうと思ってな。このかすみ草のように、素直な想いに」

じわり…と、彼の優しさが胸いっぱいに広がる。

―恋が叶ったと、信じてもいいのだろうか?
ううん、まだ…――

「…先輩、ありがとう。あたし…弥勒先輩が…大好き」

珊瑚は、照れた顔をかすみ草の花束で隠し、ふんわり…とはにかんだ。

純美で
清楚な
可愛らしい…
彼女の桃色の頬笑みが、その白い花束に仄かな彩りを加えた。

その美しさに息を飲んだ弥勒だが、はっとすると、花を持つ珊瑚の手に自身のそれを添え、ゆっくりと、その蕾の唇に顔を寄せた。

―前言撤回…
おれの悩みは尽きそうにない――

震える彼女の吐息が、ただ愛しくて、ぎゅ…と想いのままに抱き締めた。








09.6.14
漆間周さん@越殿樂さまへ
「弥珊現代パラレル」

英名・ベビーズブレス(=可愛い彼女の息)は、かすみ草。
花言葉は清らかな心。

感謝と愛を込めて…。
菜々香@FLAVORTEA



キリリク小説のお礼と拙宅の一ヶ月誕生日に、とのことでFLAVOR TEAの菜々香さんより頂きましたv
すごく素敵でした!珊瑚ちゃんの服想像すると、めちゃくちゃ絵が描きたくなりました。
それと、私的には現代だと珊瑚高1、弥勒高3のようなイメージがあったので、弥勒が大学生で、というところが新鮮で、思わずドキッとしました。
「おれのもの」っていう弥勒の独占欲とか、お互いの不安とか、まさに弥珊!って感じでうほうほしておりましたv
菜々香さん、本当にありがとうございました!^^
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

Alles Liebe,
漆間 周