仮に、夫が妻より家事が上手だったとしよう。
料理洗濯裁縫掃除、これらを中の上の腕前でこなす妻に対し、しかし夫は全てに於いて上の上の腕前でもって全てを完璧にこなす。
悪いことでは無い。むしろ良い事である。
しかし。しかしだ。
あくまでこの事象を良いと言えるのは夫の視点からであり、妻の側からすれば矜持を完膚無きまでに叩き潰されたのと同義である。
機嫌も悪くなるだろう。溜まる鬱憤はそして元凶である夫へ向くだろう。
夫は途方に暮れ、妻の機嫌は直らず。最悪である。
――――そして、これが実際に今現在我々夫婦間で起こっている事であるからたまらない。
不器用に愛を紡ぐ
子の刻。村中が静寂に支配される真夜中、弥勒は単身、自宅から伸びる道を歩んでいく。
がさり、がさりと。地面の草は弥勒に踏まれ、季節特有の切る様な風に晒され悲鳴をあげる。
星の見えない曇り空も、ごろごろと、現在の珊瑚の様に不機嫌だ。
しかし雲とは違い、現在珊瑚は弥勒の目の届かない所にいる。
所在は分かりきっているのだが、それでも心配してしまうのはつまり、惚れて一年足らずで娶る程に溺愛してしまっている彼の愛情の為せる技である。
その足取りは次第に速まり、彼女を一刻も早く迎えに行くためにひたすら動く。
例え、迎えを彼女に拒否されようとも、だ。
可能性は十分にあった。
事の発端は数刻前に遡る。
***************
「…はぁ……」
珊瑚は一人、自室で呻いていた。
その手に握られているのは弥勒の袈裟。良く見ると歪な縫い目がある。
そして珊瑚の傍には裁縫箱。
「駄目だ、縫い目揃ってない…。こんなの着せられない」
裁縫が上手いとは言えない。いや、妖怪退治の訓練に励んでいた時代から家事全般がさほど上手くは無い。
自分への憤りを、歪んだ縫い目の糸を力任せに千切る事で晴らす。
ああ、家事を始めて四年経つのに。
一向に向上を見せない己の家庭的能力に対する情けなさは、この後夕餉の為に部屋を移動した直後に爆発した。
良い匂いがした。
そう、穀物が良い具合に炊けた時のほのかな甘みだとか野菜特有の清涼な匂いが。
嫌な予感を抱えたまま台所を覗くと、ああやはり、弥勒が料理をしていた。ほぼ完成している。
「な、何で!」
「え?…ああ、お前が何か別の事をしていた様だったから…」
その発言からして自分の袈裟が破れていた事には気付いていないらしい。仕事先で何をした。
それより。珊瑚が注目しているのはそこでは無い。
自分の作より明らかに美味しそうな料理が所狭しと並べられている。
育った環境からか精進料理が多いが、見た目が良いのに変わりはない。
――――ここで、何かが頭の中で切れた。
気付けば、手に持ったままだった繕い途中の袈裟を引っつかみ家を飛び出していた。
背後で何か叫ぶ弥勒についてくるな、と叫ぶ。
「あんたが嫁さんやってりゃいいじゃないか――――――!!!!!!」
***************
あれから走って恐らく犬夜叉とかごめの家に泣きつきに行った珊瑚を追いかけたかったのは山々なのだが、なにしろ我が家では愛しい我が子達が放置されている。戻らねば。
あれだけ怒り心頭な彼女に時間が必要だとも思ったのだ。決してあの気迫に押された訳ではない。
そして、子ども達が寝静まった今、こうして彼女を一人迎えに行っているという次第である。
こん、こん。
時刻を考慮して少し控えめに弥勒がその戸を叩くと、すぐに戸は開いた。
「てめぇ、遅いんだよコラ」
内から戸を開けた犬夜叉に、子ども達が中々寝付かなかった、と言い訳をして中へ入れてもらう。
果たして、珊瑚はそこにいた。
ぶすりと不機嫌丸出しのその目は少し赤い。やはり泣いていたか。
その隣で宥めていたであろうかごめが、弥勒を見るなり珊瑚を立たせた。
「ほら、ちゃんと迎えに来たじゃない。そろそろ帰りたくなったでしょう?」
はいコレ、と、珊瑚に何やら包みを持たせ、かごめは弥勒に彼女を預けた。
「ちゃんと慰めてあげてね。だいぶヘコんでたのよ」
言われずとも。
そして二人が戸に手をかけると、家主達は何も言わない産後の肩を叩いて穏やかに笑った。
ああ、やはり何年経っても頼もしいなと思える顔だった。
少し歩くと、雪が降ってきた。来る際に月明かりが無かったのはこのせいか。
道理でなんだか肌寒い訳である。
先程から無言で後ろをついてくる妻は平気だろうか。
心配になって振り返ってみると、やはり肩が少し震えている。顔も心なしか青白い。
「――おいで」
正面で、両手を少しだけ広げる。
しばしの逡巡の後、ほんの少しだけ歩み寄ってきた珊瑚の肩を抱き寄せた。
こんなに小さいんだな、と、改めて思う。
「…ごめん」
胸元にある彼女の顔は、ひどく歪んでいる。
飛び出した事を後悔でもしているのだろうか。
「もう忘れたよ」
そうして手の内の頭をゆるりと撫でてやると、とうとう限界がきたのか、泣き出した。
泣くと言っても、今もしんしんと降り続ける雪と同じかそれ以上に静かだ。
その泣き顔はどこまでも高尚で美しいと思った。
「…これ」
少し離れ、差し出された包みは先程かごめからもらっていたものだ。
結び目を解くと、中から出てきたのは先日仕事にも着て出かけた袈裟。
「これは…どうした?」
「破れてた。…から、かごめちゃんに手伝ってもらいながら縫った」
気付かなかった。
破れ目一つにも細かく気を回してくれる彼女には、やはり感謝してもしきれない。
「ありがとう。いつもすまんな」
「私も…、料理も洗濯も裁縫も掃除も、比べたら全然上手くないし…」
「何を言う、いつも感謝しているのに」
「でも、」
自分に腹がたって仕方が無いのだろう。
その強張った顔をどうにかしたくて、自分はあの飲んだくれ和尚の分もやらなければいけなかったから、とおどけて肩をすくめて見せると、ようやく少し笑った。
過去が過去とはいえ、引き合いに出したのは師匠に大して少し申し訳なく思った。今度子ども達も連れて遊びに行ってやろう。
考え込んでいる間に、珊瑚はだいぶ落ち着いた様だ。涙は既に止まっている。
その目に残っている涙を拭ってやる。笑っていてくれと願いながら。
「帰ったら白湯が飲みたい。随分冷えたからな」
珊瑚の作ったのが良い。
そう言うと、少し呆けた後に本当に綺麗に笑ってくれた。
雪が止んだ。
雲の合間から顔を出した月は煌々と輝き、おぼろげに二人の影を落とす。
隣接する影達は、やがて楽しそうに揺らめきながら帰路を歩き出した。
了
漆間 周さんへ
甘いのかが物凄く自信ありません…!ご期待に沿えたかどうか。
少しでもこの二人への愛が深まってくれたら幸いです。
そして遅れに遅れてしまい、本当にすみません!
こんな私と相互リンクしてくださり、本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いします!
霞 鈴 拝
星見庵の霞鈴さまよりいただきました。
相互記念に小説を贈らせていただいたのですが、そのお礼、とのことで。それゆえに書かせてしまったようで、申し訳ないです。
そういえばアニメ珊瑚は家事出来ない設定だったなあと思いつつ、確かに彼女なら弥勒に負けてたら矜持が許さないだろう、と思いました。
「帰ったら白湯が飲みたい。随分冷えたからな」
珊瑚の作ったのが良い。
そう言うと、少し呆けた後に本当に綺麗に笑ってくれた。
この、最後の台詞がとっても、好きです。法師のさりげない気遣いがよく出てて、思わずほわ〜っとしてしまいました。
あとさりげなく犬かご夫婦が登場してるのが、犬夜叉らしくて、原作でもこんなことあるかもしれない!と思えました。
あんたが嫁さんやったらいいじゃない、は思わず笑っちゃいました(笑)
女装法師を想像してしまったものですから…orz
ほんわり、ほのラブで、読んでいてほっこり幸せな気持ちになれましたv
霞さん、本当に、ありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
Alles Liebe,
漆間 周