「ってぇーい、いっけぇー!」
齢は十程の少女。
母親の武器を借りてもっぱら退治の練習中。
弧を描いて戻ってくるそれを、彼女はぐいと見据えた。
鋭い眼光は母に似ている。
飛来骨が戻ってくる。
いち、にい、さん……。
「って、うわぁっ……!」
ぬかるんだ地面に足をとられた。
ぐぅ、と滑った草履は止まらなくて、彼女は地面に転がる。
――ぶつかる……!
風の鋭い音を響かせて戻ってくる飛来骨は、幸い彼女の少し横に突き刺さった。
ぱしゃりと泥が跳ねかえる。
それを顔にまともに受けて、ひぃ、と彼女は呻いた。
「ふぁぁ……さ、最悪……」
――母上みたいには上手くいかないかな……。
むぅ、と口を結んで澄んだ空を見上げる。
父と母は、四魂の玉というもののために出会い、そして奈落という物の怪を倒し、結ばれたという。
父にはその奈落からの恐ろしい呪いがあったのだとか。
そして、今彼女からは仲睦まじいとしか思えない両親も、父が浮気性でいつもいつも母に殴られていたとか。
法師さまってばね、と笑いながら話す母を思い浮かべる。
その類の話を始めると、いつも決まって父はちょ、ちょっと珊瑚! と言って気まずい表情で話を止めようとする。
――でも結局、仲良いじゃん。
いつも互いを思いやり、自分と妹や弟を心配してくれる両親。
恋だの何だの、分かるような分からぬような年頃ではあったが、父母の絆は、固い。
幼い彼女にもそれは分かった。
なんだかそう思うと嬉しくて、自分にも将来そんな人って出来るのかなあ、なんて思案にふけってしまう。
でも、妹と違って自分は男の子と話すのが苦手で。
泥まみれの顔に、自然と微笑みが刻まれた。
母の武器は大きい。
母は強い。
「あたし、絶対母上みたいになるんだから!」
力強くこぶしを握りしめて、太陽に誓う。
「あ、宮平(くびら)〜!」
「げ」
突如、後から聞こえた妹の声に宮平は顔を強張らせる。
妹だ。
握り締めた拳そのままにゆっくりと振り向くと、予想通りの妹の姿があった。
何人かの男子に囲まれて、へらりと笑いながら彼女に近づいて来る。
――また、やってる……!
妹のこういう様が潔癖な宮平には気に食わなくて、どうしてもこういった情景を見ると苛立つ。
「金平(きびら)! またそんなことして! 母上に怒られるよ!」
もうっ、と衣服の泥を払って妹に食ってかかる。
「だいじょうぶー。姉さんこそ、泥まみれで何やってんのさ」
「見れば分かるでしょ!」
くくく、と馬鹿にするかのように笑う妹になお腹が立つ。
「うりゃっ!」
宮平は足元の泥を丸めて、妹の顔にぶつけた。
「わっ……! 何すんの!」
思わず腕を構えた金平だったが、泥はべちゃりと彼女の顔に命中した。
「さ、最悪……わたしの可愛い顔が……」
着物の袖で必死にぬぐうが、なかなか取れない。
「宮平の馬鹿!」
妹は、仕返しにと泥を投げ返してくる。
金平を取り捲いていた男子どもは、また始まった、という顔でその様を見ている。
やがてその中の一人が、これで拭け、と布きれを二人に取り出した。
「あ、ありがと……」
たったそれだけで強張る宮平の声とは反対に、金平は気がきくね、と返してにこっと笑ってそれを受取る。
泥まみれでもなんだか可愛らしい。
それだけで何とも、自己嫌悪に陥る。
「宮平、さま?」
布きれを差し出した少年が声をかけてきた。
「さ、さまなんて、い、いらない! 宮平で、いい!」
「いえ、でも、あ、あの……」
若干頬を赤らめ、俯く少年。
「こ、これ……」
ぐいと差し出された腕には、櫛が握られていた。
「は、はい?」
「こ、これをあなたに……っ……!」
少年は無理矢理宮平に櫛を押し付け、俯いたまま、走り去ってしまった。
金平はじめ、取り巻きの男子も彼を目線で追う。
――なんで、櫛なんかくれるの……?
「ふぅん」
からかうような目で姉を見て、金平は言った。
「……あいつ、わたしじゃなくて宮平姉さんにお熱なんだ」
ふふふ、と笑う妹だが、宮平は彼女の言う意味が分からない。
「お熱……?」
「好き、ってことよ」
――好き? あたしを?
持て余した櫛を見つめて、宮平は考える。
――話したことはあったけど……いい子だったけど……でもそれは金平のそばにいたからで……。
でも。
無意識に宮平の顔が朱に染まる。
「あはははっ、姉さんったらそんなことで照れちゃって!」
「う、うるさいっ!」
思わず妹に掴みかかろうとした時、突如、静止が入った。
「おやめなさい」
「ち、父上……と、母上」
櫛がぽろりと足元に落ちる。
「おや、それはどうしたのですか?」
父の言葉に宮平の顔はさらに赤くなる。
「それはねー、えへへ」
こうこうこうで、と。
金平は父の耳元で囁く。
「ほぉーう」
「何、法師さま」
「この櫛、宮平が男子から贈られたものだそうですよ」
「へぇ、良かったじゃないか」
「良くありませんっ!」
弥勒の即答。
なぜか怒りの気配が滲む。
「いいですか、宮平、その男には注意なさい。それから金平! お前、男子と戯れるのはいいが限度をわきまえなさい!」
「法師さま……」
宮平はともかく、妹の金平の性格は明らかに法師に似ている。
誰のせいだ、と心の中思いつつ、その親ばかぶりには微笑ましさも感じた。
珊瑚はくすりと笑う。
「何です!」
「法師さま……自分のこと棚に上げて」
「いいですか! 男と女は違うんです! だからだめなんです!」
「いいから、落ち着いてってば」
笑いを止めることが出来ないまま、弥勒の肩をぽんと叩く。
「二人とも、もう日が暮れるから家に入りな。その泥も洗わないと」
「はい」
「うん」
姉妹は双方答えて、金平はじゃあね、と周りの男子に手を振った後、庵に駈け出した。
先に駈け出していた宮平の手をそっと握ったのは、少しばかり悪かったという詫びの印だ。
***
闇夜の静けさが鳴る。
夜露さえ息を止めるこの刻限。
三人の子供はもう眠った。
弥勒と珊瑚は二人、外で月見でもしながら酒を嗜んでいた。
もっとも珊瑚は、酌をするだけだったが。
「金平は法師さまに似てるんだよ。かごめちゃんが言ってたよ。いでん、ってやつだって」
「知りませんけど……おなごがああいうことをするのは、良くない」
「まあ、あたしもちょっと大変だなって思うけどさ」
ふふ、と笑って珊瑚は弥勒の肩にもたれかかる。
「宮平、どうなのかな」
「知りません」
拗ねたままの彼に珊瑚は唸る。
「ほんっと、親ばか……」
「父親として、娘の将来を心配するのは当たり前でしょう」
ごくり、と酒を飲み干して弥勒は低く呟く。
「じゃあさ、あたしの父上が法師さまのこと見たら心配するって思わない?」
「……昔の話でしょう。今はお前だけだ」
「ふふ、でも金平もさ、法師さまに似てるなら……案外、ちゃんと選ぶ子だってあたしは思うよ?」
母親として、見ていてそれは分かる。
金平はわきまえている。
「……そうだといいですけどねえ」
はぁ、と深々と溜息をついて、弥勒は肩をすくめた。
「ねえ」
「何です?」
「あの子たち、どんな未来をつかむのかな」
「そうですねえ……」
親として、思い描くのは平穏で安泰な生活。
けれど、運命は見えない。
二人が出会ったのと同じように。
珊瑚は、弥勒の手甲のない右手に、そっと己の左手を重ねた。
ゆるりと弥勒は指を絡めてくる。
心地良い体温。
泥まみれで、道端で大きな音を出して騒いで、一体どこへ行くのやら。
けれど、いつか大きな人間になるだろう。
ぶちあたる壁を思い切り壊して。
少女になった時、反抗して道端で叫んで、世間の不条理に血も浴びるだろう。
けれど、信じるものを振りかざすだろう。
そして年老いた時……静かな平和な心を抱くだろう。
我が子にそっと支えられながら。
大丈夫、どんな苦難もあたしたちの子なら乗り越えられる。
――どうか、愛しい子に幸あれ。
二人の願いは、同じ。
fin.
2369を踏まれた菜々香さんのキリリク、「双子ちゃん」でした。
いかがでしたでしょうか。
双子を出すにも、しゃべらないのではつまらない、ということでしゃべらせてみたら名前が必要になって、宝石名前か仏教の名前か考えた結果、仏教にしました。
ちょうど、弥勒菩薩の化身前にあたる十二神将が「宮毘羅」と「金毘羅」とセットだったので、ちょっと加工してこの名前にしました。
もう少し、最後に二人のラブシーンを入れてみたかったのですが、子供中心という時間で大人の時間は置いておきました(笑)
最後の文、及びタイトルは、なんとなく気付いている方もいらっしゃるかもしれませんが、We Will Rock Youの歌詞からの私なりの加工です。
菜々香さん、リクにはきちんとお応えできてますでしょうか。
若干の不安を残しつつ。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
2009.06.14 漆間 周