頭痛生理痛情緒不安定!

「いたっ……い〜……」
下腹部を押さえて珊瑚は呻いた。

奈落との闘いが終り、数か月。
すぐに祝言を上げた二人が結んだ庵。

共に旅をした仲間、犬夜叉とかごめの恋仲は珊瑚も承知。
それなのに、彼女は行方知れずで、犬夜叉の辛さは身にしみるように分かる。
だから、ちょっとした申し訳なさも、珊瑚の心中にはあった。

そして、あの法師は今、退治の仕事で不在。
月のものの痛みに悩まされる珊瑚には、頼る存在が犬夜叉しかいなかった。

雲母に犬夜叉を呼んできてくれと頼んですぐ。
彼は井戸の側から庵にやって来てくれた。

「おう、どうした?」
ばさりと無造作に払われた簾。
逆光で見えない彼の顔、だがその銀の髪はきらきらと太陽の光を反射する。
ずかずかと遠慮なく入ってきた彼は、筵の上でうう、と下腹部を抱え唸る彼女のもとに近づいた。
「ごめん……犬夜叉……法師さまいないから……」
「ああ、退治だろ。大丈夫かよ。顔、真っ青だぜ?」
苦し紛れに絞りだした言葉。
犬夜叉は彼女の顔を覗き込んで、驚いた様子で珊瑚の額に手を当てた。
「熱は……ねえよな」
「ああ、ないさ。月のものだよ、ばか」
そう言う間にも冷や汗がたらりとこぼれる。
「かごめちゃんがいたら、薬、くれたのに……」
はぁ、と苦笑する珊瑚。
だが、「かごめ」という言葉にぎくりと反応した犬夜叉を、見逃さなかった。
痛みのあまり気遣いを忘れていた。

「はは……ごめんね。大丈夫、かごめちゃんは絶対大丈夫」
「っ、べ、別にあいつのこと気にしてるわけじゃねえ!」
「嘘言いなよ、あんた顔は正直だからさ。今はきっと、井戸の向こうにいるよ。大丈夫。いつか、絶対会えるよ」
ふ、と青ざめた顔に柔和な笑みを浮かべて珊瑚は言った。
「安心しな」

そして、自分でも何を思ったか、手は犬夜叉のその髪を撫でに動いた。
抱き締めるようにして、背中を赤子をあやすように叩いてやる。
大丈夫だから、そう耳元で囁いて。

堪え切れなくなったかのように、犬夜叉が涙をこらえる気配がした。
珊瑚は触れなかった。
彼がそういう性格なのは旅をしていて重々承知だったからだ。

――多分、誰よりも真っ直ぐで純粋で、だからこそ傷付いて、そして、誰よりも人間らしい心を持った彼。

「大丈夫……っ、う……」

痛みはあったが旅の仲間のことの方が優先で、体を起こしていたものの――痛みはそう都合よく消えてくれないらしかった。

「お、おい、お前こそ大丈夫か?」
戸惑いを浮かべた顔が下から彼女の顔を覗き込んでくる。
「は、はは……ごめん……悪いけど、背中さすってくんない?」

「あ、ああ……」

――こんなん、弥勒の野郎に見られたら殺される……ぞ?

少々身の危険を感じた彼だったが、とにかく目の前の彼女の方が心配である。
このあたりか、と言って背中をそっと、さすってやる。

「うん、そこ……」
「痛くないか?」
「ああ、大丈夫……少しは、まし」
ふぅ、ふぅ、と珊瑚は呼吸を整える。
腹痛に伴って頭痛までするのだからタチが悪い。
「あ……ううっ……った……い」
額に手をやって珊瑚は呻いた。
頭がぼんやりとする。
とにかく呼吸を整えるのが精一杯で、何も考えられない。

だが、ふとした瞬間。

簾の向こうに、夫の姿が見えた気が――。

幻覚? と思いつつ、法師さま、と声を出す。
隔たれた向こう側で、身じろぎする気配があった。
やがて彼はしゃらん、と涼しい錫杖の音を鳴らして簾から顔を覗かせる。

「あ……おかえり……」
心底嬉しそうに珊瑚は笑った。

一方で、ぎくりと身を強張らせる犬夜叉。

「どうした? 犬夜叉」
「い、いや……あの、な……珊瑚」

意識の朦朧とした彼女は気付いていないのだろう。
その簾から覗かせた顔が、入ってきたその気配が、何やら鋭く殺気を放っていることに。

慌てて犬夜叉は彼女から身を離した。

「……つ、月のもので腹が痛えらしい。おめえ、何か薬持ってねえか?」
「ほう……持っていたら、どうだと?」
「さ、珊瑚に飲ませてやってくれ」

つう、と。
冷たい汗がこめかみを伝うのが分かった。
犬夜叉の顔は凍りついた、と言うべきそのもの。

梅雨時の湿り気と熱気に関係なく、庵の中に冷たい空気が漂う。

はぁ、と嘆息した弥勒は、懐から小さな三角紙を取り出し、水と共に珊瑚に差し出した。
「お飲みなさい」
「ありがと……」
荒い息の中、愛しい抹香の匂いに少しだけ落ち着く気がした。

「では、私は少し犬夜叉に用がありますので」
「え……? あ、分かった」

――側にいてほしいのに。

言えず珊瑚は男二人を見送った。
犬夜叉がひょこひょこと、珍しく卑屈な態度で弥勒の後を着いて行く。

***

「で、どう説明します?」
骨喰いの井戸に腰かけて、弥勒はしゃらんと錫杖を鳴らした。

「だーかーらー! さっきから言ってるだろうが! 珊瑚のやつが腹が痛えっつーからさすってやってただけだって!」
犬夜叉はもう自棄になって叫ぶ。

「ほーう。なんだか下心アリアリのように見えましたが? しかも珊瑚に抱き締められて?」
絶対零度の眼差しに、春の陽ざしのような微笑み。
そのあからさまな不一致が恐ろしいことこの上ない。

「ない。ぜってー、ねえ! それとあれは……成り行きであってだな、その、あのな……」
「風穴があったら吸い殺しているところですが」
「けっ、残念だったな」
「今思えば便利なものでしたなあ」

ふふふ、と弥勒は笑ってやおら立ち上がる。

ひ、と声にならない叫びを上げて、犬夜叉は逃げようとした。
だが、胡坐していたこの体勢では、無理だ。
ずかずかと近付く彼に、逆らう術はなかった。

――そして、初夏の夕暮れに断末魔の叫びが響く……。

***

「どうしたのさ、犬夜叉。どこでそんな怪我したの?」
夜。
薬のおかげで回復した珊瑚は不思議そうに犬夜叉を見つめた。
いつものように、楓の庵に集合した三人と七宝、雲母。
何やら青痣を作り、腫れた目蓋と膨らんだ頬が気になる。
勿論、犬夜叉の、だ。

「ちょ、ちょっと……な」
「二人で妖怪退治でも行って来たの?」
ねえ、と仰ぎみるのは夫の方。
彼は優しく微笑んで答える。
「ええ、ちょっと厄介な妖怪でしてね。犬夜叉がへまをいたしまして。いやはや、大変でしたなあ、犬夜叉」

文句は言わせねえぞ。

その笑顔と言葉の裏を読みとって、犬夜叉は無理矢理笑顔を作る。
大変だったんだぞ、と言う顔は、元の怪我のせいで襤褸切れのようになっていた。

「のう、雲母……なんだか裏があるように思うのはおらだけか?」
「……みぃ」
「……じゃのう……」

冷めた瞳で不良法師を見つめる子狐妖怪。
仮面を被る不良法師。
言いなりの半妖。
何もしらない、法師の妻。

「全く、奈落を倒してもこの有様とは……大人気ないのう」

「何か、言いました?」
「何か言ったかこの野郎」

男二人に同時に睨まれ――というか、一方は笑顔だったが。
七宝はひぃ、と声を漏らして何でもないぞ! と言った。

――厄介な妖怪たあおめえの方だ!

弥勒を睨みつける犬夜叉だが、彼に口で勝てた試しがない。
鉄面皮を崩せぬまま、夜は更けて行く。

旅は終わっても、日常は終わらない――。


fin.



5369(子弥勒)番をゲットされた響さまのリクエスト、嫉妬法師です。
対象不問、とのことでしたので、絡みの楽しい犬夜叉にいたしました。
あまり、こう嫉妬嫉妬させずに、ギャグタッチにしたのですが、お口にあいますでしょうか。
ちと、色っぽい系の嫉妬法師を思われていたなら、ギャップ大アリだと思いますが。申し訳ありません。
とにかく、楽しく書かせていただきました。
リクエスト、ありがとうございましたv
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.07.12 漆間 周




「ねえ、雲母」
「み?」
「法師さまってさ……どんだけ嫉妬深いんだろうね」
くすりと笑ってみやるのは膝の上の猫又。
「みぃ」
同意の声で鳴く妖に、珊瑚は声を立てて笑う。
「そうだよね、雲母。犬夜叉も可哀相だったけど……ふふ」

河原の二人の語らいに耳を澄ますものは。
誰も、いなかった。