ぬくもり

「おとう……」
小さな寝言が漏れたもは、昨晩のこと。
まだ起きていた弥勒と珊瑚は、それを聞き逃さなかった。
犬夜叉はかごめを追いかけて井戸の向こうだ。

愛らしいこの子狐妖怪が抱える心の傷。
普段は能天気に笑い、犬夜叉に何か言っては殴られ弥勒をなじり、かごめと珊瑚にくっついてばかりの七宝も、寂しい夢を見る時だってある。
「おらがしっかりせねば!」
戦力にはあまりならないのは、正直なところ真実。
それでも、七宝は一行にとって欠かせない存在だ。
なぜか、と問われれば言葉は出ない。
けれど七宝は共に旅する仲間だ。
それは全員が承知のこと。

大切な仲間に、そして孤独を抱えた七宝に、してやれることは何だろうか。
ぱちぱちとはぜる薪の音を聞きながら、弥勒と珊瑚は目を合わせた。

ぬくもり

チチッ、とすずめが飛び交う。
花開かせたたんぽぽに、いぬのふぐりもあちらこちらに青い色を散らせている。

「のう弥勒、どこに行くのじゃ?」
七宝は弥勒の肩の上で、あちこちきょろきょろと見回しながら問いかけた。
「お楽しみ、ですよ」
にこりと笑顔を返す。
「そうそう、お楽しみ。どこだと思う?」
弥勒の横を歩く珊瑚が、こちらもまた楽しそうに微笑みながら七宝に言った。
「うーむ。市か、何かかの?」
「どうでしょうねえ」
行先を教えてくれない二人に少々戸惑いつつも、七宝は楽しそうな表情で弥勒に肩車されている。
「ま、ついてからのお楽しみ、ということで」

そんなわけで三人は歩き続けた。
目指しているのは隣の村だ。
理由は……春祭りを七宝に見せるため。
昨晩の寝言を聞いた二人が思いついた、ささやかな七宝への贈り物だった。

春爛漫、といった景色が広がる。
生い茂った草は若々しい、淡い緑をしている。
川のせせらぎも心地良い音を立て、魚が波紋を立てる。
太陽の陽ざしはただただ穏やかだ。

歩き続けて半刻ほど、微かに田楽の音が聞こえ始めた。
それに早々と七宝が反応する。

「祭りか!」

そうですよ、と弥勒は微笑んで正解、とでも言うように子狐の頭をそっと撫でてやった。
篠笛の軽快な旋律と、太鼓の軽い音が愉快な音楽を奏でている。
その音が徐々に大きくなるにつれ、目指す隣村は近づき、やがて神輿なども見え始めた。

賑やかな喧噪が聞こえる。
集まる村人の中心に、田楽を舞う稚児の姿があった。

「春祭りです。五穀豊穣を願って、神にああして舞や樂を奉納するんですよ」
本来村ごとの祭りであるから、旅の身の彼らにはあまり関係のないもの。
だがこうして見物するのは悪くない。それどころか、こちらも愉快な気分になる。

七宝はとと、と弥勒の肩から降りて、村人たちのもとへ行ってしまった。
稚児舞見たさだろう。
弥勒と珊瑚は顔を見合せて、くすりと笑った。

「楽しんでくれたら、いいけどね」
「まあこんなものしか思いつきませんでしたけれど……ああして愉快そうにしているのですから」

嬉々として稚児舞を見る七宝は、少しその動きの真似をしてみたり、その風変わりな衣装に目をこらしたりとしている。
突然割り込んできた小さな妖怪に、村人は少々驚いた様子だったが、そうして楽しそうにしている姿を見て害はないと判断したらしい。
村の子供が七宝のもとにやってきて、遊びにさそったりもしている。

「弥勒ぅ、珊瑚! おらこの子らと少し遊んできてもいいかの」
村の入り口で二人、様子見をしていた彼らのもとに七宝が飛んでやってくる。
目はきらきらとしていて、後ろの村の子供も愛らしい姿の妖怪に興味津々と言った様子だ。

「ええ、構いませんよ。我々はここで待っていますから」
「楽しんで、行っといで」
返事を聞くや否や、分かったぞ、と叫んで七宝は行ってしまった。
独楽でも見せて遊ぶつもりだろうか。
嬉しそうな七宝の様子に、弥勒と珊瑚も心絆されるようで自然と笑みがこぼれる。

「おとう、って、言ってたよね」
「ええ。かごめさまから聞いた話では、七宝の父上は雷獣の兄弟に殺されてしまったのだとか。その時から犬夜叉たちと共に行動しているそうですよ」
「そうなんだ……まあ狐の妖怪はねえ。そんなに害をなすもんじゃないし、かなりの大妖怪になっても狐火でくらいしか攻撃ができないからね」
「ええ。遠い大陸では何百年も時を経た狐妖怪は神に仕えるのだとか。それと、かなりの美女に化けるとも聞きましたなあ……」
「へえええ、美女、ね」
若干冷たい珊瑚の視線に弥勒はいや、と手を上げる。
「おかしな邪推はしないで下さい」
「でもなんか見てみたいものですなあ、なんて顔してた」
ぷくっと頬を膨らませる珊瑚が可愛らしくて。
弥勒は思わず噴き出してしまった。
「な、何さ……!」
「いえ、ですからそんなこと考えておりません。七宝がそんな大妖怪になる頃には我々はとっくに死んでいるでしょうし」
まだくすくすと笑う弥勒に、珊瑚はさらに拗ねた。
「そんなに笑わなくっていいじゃないか!」
「お前は嫉妬深い」
ははは、と弥勒が腹を抱えて笑う。
そんな見たこともない美女に思いをはせる自分を想像して嫉妬するなど、滑稽にさえ思えたからだ。
「法師さまが浮気ばっかりするからこうなっちゃうの!」
もうっ、と睨みつけて珊瑚はその場に座った。
合わせて弥勒もその場に腰をおろす。
が、隣合わせが嫌だ、と言わんばかりに珊瑚は後ろ向きに位置を変えた。
そんな彼女に内心はまだ笑いつつ、合わせて弥勒も後ろ向きになり、彼女と背中合わせになる。

「なあ珊瑚」
「何さ」
「心配せずとも私の心はお前のもとだけだ」
「……じゃあ何もあっちこっちの村で女の子の手握ってにやにやしなくっていいじゃない」
「いえ……あれは……」
お前の反応が可愛くてつい、なんてことは言えない。
嫉妬されて平手をくらい、挙句には飛来骨までくらい、それでもうれしいなど被虐趣味のようで、自分でもおかしいのだが。
結局は、愛情確認に他ならないのだろうか。
まともに向き合えない弱い自分だからこその。

思案にふける弥勒に、言葉の続きを促すように珊瑚が唸る。
ふっと小さく笑って、涼やかな錫杖の音と共に彼は立ち上がると、珊瑚の顔を上から覗きこんだ。

かあ、と一瞬にして真赤になる彼女の顔。

「な、何さ……!」
顔をそむけようとしたのもつかの間、法師の顔がさらに接近して、思わず目を閉じた彼女の唇に、柔らかいものが触れる。
「な……!」
驚いて一瞬珊瑚は目を開けたが、あまりの彼の顔の近さにどうにも恥ずかしく、またぎゅっと目を閉じてしまった。
ほんの数秒の口づけだったが、珊瑚には永遠にも感じられた。
すい、と離れた唇に、不思議と寂しさを感じる。

「お前以上に、大切なおなごなどこの世にいない」
背後から抱き締められて、ますます珊瑚の胸は高鳴る。
「ほうし、さま……あの……」
さっきは、拗ねて悪かった……。

そっと手を重ねる。
自然と指は絡まりあう。
やってきた夕暮れに、染まる西の空が美しい。
それに……こうしているから、なお温かい。

「法師さま」
「何だ?」
小さく呟いた彼女の声は耳に届いたかどうか。
あたしも、好きなんだよ、と。

「あのぉ〜……お邪魔、だったかの?」

突然下から聞こえた声にひぃっ、と二人は慌てて身を離す。
遊び終えて帰って来た七宝だった。
どうやらとうに帰ってきていたが、二人の様子に声をかける瞬間をためらっていたらしい。

「い、いや、全然! ……邪魔じゃないから! 遊び終わったんだね楽しかったかいもう暗くなるし帰ろうか!」
早口でまくしたてる珊瑚に弥勒はまたもやふふ、と笑みをこぼす。
「七宝、お前ね、人の恋路は邪魔するものじゃないですよ」
「す、すまんの……」
でへへ、と苦笑しながら頭を掻く七宝にの額をぺちん、と指で弾いて弥勒は錫杖を構え直す。
恋路なんかじゃない! と真赤な顔で喚く珊瑚を尻目に、弥勒は七宝に腕を差し出した。
また肩に乗れ、と。
「ま、今回は許すといたしまして、帰りましょうか」

「そうじゃの!」

「どんな、遊びをしてきたんですか?」
肩の上、七宝は上機嫌で尻尾を揺さぶる。
「まず独楽じゃろ、狐火に変化に、色々見せてやったわい」
「そうですか」
笑顔の弥勒に、七宝はそっと呟く。
「……嬉しかったぞ」
連れてきてくれて。
ならよかった、と弥勒は微笑む。

「おら、弥勒のことおとうみたいに思うとるんじゃ」
はにかみながら言った七宝に、おや、と弥勒は返す。
「なら珊瑚は母上ですか?」
「ばか、勝手に夫婦にするな」
「そうじゃのう……でもかごめも、母上みたいじゃ」
「そうですか……なら私は二人も妻がいることになりますなあ」
すかさず珊瑚が弥勒の耳を引っ張る。
いてて、と苦笑しながらも、弥勒は七宝の言葉に今日の贈り物がきちんと届いたらしいことを感じた。
茶々を入れた珊瑚も同様、愛しさをこめて七宝の頭を撫でる。
「でも七宝、法師さま見習っちゃだめだよ」
笑いながら。

夕日に照らされる二人とその背中の小さな影は、どこまでも優しかった。

<了>

七宝メインにしたかったのですがあまりメインになってませんね。
弥勒と七宝はなんだか親子のような感じがします。
七宝も、また弥勒のことを父親のように思っているんじゃないでしょうか。
平穏で優しい雰囲気を目指して書きました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

2009.05.29 漆間 周