Que sera sera

未来。
それは次の一瞬で、そしてまたすぐに過去となる。
だから、今、この瞬間が、生きていると、言うこと。

Que sera sera
「夢心さまー」
久々に帰った寺に、住職の姿はない。
どうせ飲んだくれてどこかで眠っているのだろう。
弥勒は一人本尊の前に立つ。

――千手観音、か。

ふわりと優しい風が吹き抜ける。
袈裟がやわらかく揺れて、抹香の香を散らした。

「おお、弥勒、そこにおったか」

背後からゆらりとかの和尚が姿をあらわした。
弥勒の予想通り、手には酒瓶を握っている。
酒臭いことこの上ない。

「また飲んだくれて……この破戒坊主」
「お前に言われとうない」

くっくっ、と機嫌良く笑った夢心は、どうだお前も、と杯を差し出した。
無言でそれを受取って、本堂の中二人、対面で胡坐をかく。
不謹慎際まりないが、まあ仏も許してくれるだろう。
仏性とは行動そのものではない。
戒めを破っているのは事実ではあるが。

「どうじゃ、最近は」
仲間を連れた旅の道中である彼が単身ここに来るのは珍しい。
「どうって……ただ四魂のかけらが奈落につながっている、というだけで。いつもと変わりませんよ」
「しかし顔が違うな。何かあったか?」
ぐいと酒を飲み干し夢心は言った。
「特には。風穴も大人しくしておりますし」
なぜかにやにやした顔で見つめてくる夢心に、不思議そうな声音で弥勒は応えた。

「何かあったろう」
「何か、と申しますと……そうですね、旅に妖怪退治屋の生き残りの娘が加わりました」
「ほーぅ」
「それが何か?」

「お前、いつものアレは言ったか?」
「いつもの?」
「ほれ、私の子を産んで下さらんか、じゃ」
弥勒の声音を真似て言う夢心は、なぜか楽しそうな顔をしている。
なんだかむかつくな、と思いつつ弥勒は記憶を辿る。

「……そういえば、言っておりませんね」

「なぜじゃ?」
空になった杯を手慰みにしながら夢心は笑った。
「なぜって。不幸にもその娘――珊瑚は、奈落の罠にかけられて、実の弟に一族皆殺しにされ、また自身もその刃にかけられておりまして。その上、退治屋の里は奈落がけしかけた妖怪で壊滅。犬夜叉が敵だとはめられ、ぼろぼろの体で戦いに」
「ほう、それで?」
「ですから、その時珊瑚は体も動かせない程大けがをおっておりまして。そんなこと言っている状況ではなかったので。そのくらい心得ておりますよ」
何を言うか、とねめつける弥勒にも、夢心はにやけた顔を隠さない。
「それで、その珊瑚とやらは今は元気なわけじゃろ? なのになぜ言わん」

「それは……」

――言う機会、逃した、から?

そういえば彼女には言っていなかった。
体を触りこそしたが、言っていない。

思案にふける彼に、夢心はほっほっと笑ってやおら立ち上がった。
「若いのう。まあいずれ気付くだろう」
そう言って新しい酒瓶を取りに行く。
弥勒はただ、杯の酒にうつる自身の瞳を見つめていた。


「では。犬夜叉が急げ急げと言うものですから、早く帰らねば」
失礼いたします、一礼して弥勒は寺から出る。
見送る夢心はそっと彼に言った。
お前、幼い頃何を言っていたか覚えておるか、と。

***

――幼い頃?

温かな春風に道端の草がなびく。
風は錫杖の音をのせて、どこかへ飛んで行く。

自分に課せられた運命もあまり理解できていなかった幼い頃。
目の当たりにした父の死。
母の顔は、知らない。

己の行く先の暗黒に絶望し、死を願ったこともあった。
暗い瞳で、ぼんやりと、日々を過ごしていた。
やがてそんな感情も凍りつき、今のような表向きだけは良い人間になった。

――父と、幼い頃何を話したろうか。

辿る記憶の糸に限りはない。
それはふつと途切れるものもあれば、繋がってするすると巻かれるものもある。
封印の数珠が邪魔だとごねた時の、困ったような父の顔。
なんで母上はいないの、と尋ねると、父は切なげにただ微笑んでいた。

『ねえ、母上はどんな人だったの?』

辿る糸。浮かぶ風景。優しかった日々。

自分の質問に父は何と答えたか。
細かい言葉など忘れてしまった。
ただ、意味だけは覚えている。

命かけても、守りたい女だ、と。

自分にもそんな人があらわれるのだろうか、と幼い心に描いた将来。
尋ねれば父は単純に答えた。
なるようになるものだ、先のことなど分からない。
どうなったって、なるようになるものだ、と。

今思えばその答えは明解だったが意味深い言葉だった。

――なる、ように。

今になってやっと、その言葉は己に染み込んでくれたようで、ふ、と弥勒は笑みをこぼす。

――先のことなんざ、分からねえよな。

「もし」など考えても意味がない。
未来は一瞬で過去になる。
次に踏み出した足が何を踏むのか自分は知らない。
そしてもう一歩踏み出せば、それはただ草だったと思うだけ。
また次の一歩は分からない。そして分かる。
ひたすら、その繰り返しだ。

――別に、次の瞬間死んだっていいんじゃねえか? 今、だけだろ。


やがて一行の宿へ辿り着く。
七宝が真っ先に出迎えにやってくる。
おぬし酒臭いぞ、とぼやいて。

珊瑚はかごめと談笑している。

出会った時は戦う女だと思っていた。強い女だと思っていた。
だが時々見せる弱さも、今のような年頃の娘相応の笑顔も。

なぜだか、魅入ってしまう感覚にとらわれる。

「あんにゃろ、気付いてやがったか?」
自分でもなかなか気付かなかった感情に。
親というものはそうなのであろうか。
実際の親ではなくとも。

「ま、先のことなんざ分からねえよ」
ひとりごちた弥勒に、なんじゃ? と肩に乗った七宝が、かごめから貰った飴玉をくわえて顔を覗き込んだ。
なんでも、ありませんよ。

そう答えて犬夜叉のもとへ向う。
おなご二人、はずむ話もあるだろう。そこへ割り込むのは反則だ。


彼は知らない。
次の瞬間死んでもいいなどとんでもないと気付く日が来ることを。
父と同じく、命賭しても守らなければと思う日が来ることを。
誰かのために、生きる日を。

そっと、遠くから彼女の顔を見つめる。
瞼にさした朱が眩しい。

先のことなど分からない。
けれど、一歩一歩進んでいく。
生きていく。

どんな未来が来るか、知るすべもない。
それは弥勒も彼女も、同じ。

ただ、彼女の瞼の朱に一瞬思い描いた未来は、確かに輝いていた。


fin.


ケセラセラ、です。
ちなみに歌詞の一部は以下。いい曲ですよー。

When I was just a little girl
I asked my mother "What will I be?
Will I be pretty? Will I be rich?"
Here's what she said to me:

Que sera, sera,
Whatever will be, will be.
The future's not ours to see.
Que sera, sera,
What will be, will be.

Jazzばっか使用しております。
マイ・ファニー・ヴァレンタインとか使いたいですけどね、法師は男前だからなあ…深読みして性格に持っていけば書けなくもない感じはしますが。
私的にはブルース系が好みなのですが、ノリとして犬夜叉の世界に合わないので(苦笑)
現代版を企んでるのですがその際にはバリバリ使用いたしますよー!
で、この歌も女の子からの目線なのでどうしても珊瑚視点ばかりになるので、今回は弥勒視点に持って行きました。
ウチの小説はなんだか深読み推奨な気がしてまいりました。
「千手観音か」なんて意味深に書いておいてスルーしてる自分がいるものorz
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.06.11 漆間 周