とんびがくるくると頭上を旋回している。
心地よい風は感触も音も甘くて、眠りを誘う。
木陰の涼しさが調度良い。
透ける緑。
そして背中にあたる幹の、息づくかのような鼓動と冷んやりとして、でもそれでいて温かい温度。
汲んで来た水を傍らに、珊瑚はゆっくりと、瞼を閉じた。
ゆらゆらと揺らめく影の中、瞼の朱が妙に艶っぽい。
午睡の波紋
――おや。
帰って来ない彼女を探しに、弥勒はふらふらと歩いていた。
怪我でもして、と心配していたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
穏やかな寝姿を木陰に見つけて、彼は微笑する。
少し離れたところから見る彼女の姿は、無垢な少女のようで。
雲母も連れずに不用心極まりないが、ただ水を汲むだけだったので、庵に置いてきたのだろう。
柔らかな風に、漆黒の髪が揺れる。
ひとひら、落ちた木の葉は、水おけに一つの波紋を作って。
そこだけ、切り取ったかのように平穏な眩しい景色だった。
近づいていいやら、いけないやら、弥勒には分かりかねたが、どうにも己の欲には逆らえなかった。
もっと近くで見たい、その髪に触れたい、そんな想いが。
そっと、気配を殺して近づいて、彼女の横に腰を下ろす。
こうして近くにいると、穏やかな寝息すら聞こえる。
普段はきりりと引き締まったその表情も柔らかく、眉も自然な弧を描いている。
閉じられた瞼に引かれた朱に、長い睫毛。
ふっくらとした、その唇。
――お前、誘っているようなものだぞ……。
ふ、と嘆息して弥勒はやれやれと前髪をかき上げる。
今思いついたことを、実行するか否かということに迷いながら。
じぃ、と自分の肩のところにある彼女の寝顔を見つめる。
――触れ、たい。
最早己の意思とは関係なく、体は動く。
柔らかな髪をそっと撫で、輪郭をなぞり……口づけた。
愛しいおなごの、唇の感触。
それは何よりも甘くて、切なくて、不思議な安堵を弥勒にもたらす。
しばしそれに酔いしれたい気持ちもあったが、はっと弥勒は体を離した。
こんな所、彼女に気付かれでもしたら、いつもの鉄拳制裁は免れない。
***
夢を、見ていた。
奈落を倒して、彼と二人きりでただ、安らかな生活。
例えば共に市に出かけたり、昼寝をしたり。
珊瑚は、縁側で心地よく寝息をたてる彼を見つけた。
いつもの大人っぽさなど微塵もなく、年齢相応のあどけなさの残る寝顔がそこにある。
袈裟は少々乱れていて、耳の輪がきらりと光る。
あどけないのに、どこか色っぽい。
男の香が、少々する。
滅多に見ることのできない彼の寝顔に、珊瑚は見入った。
触れたい、と思った。
そして普段なら、自分からけして出来ぬことを、やらかそうと……そっと。
体を、動かした。
***
「ん……」
なぜか現実味を帯びた感触が唇にあって。
珊瑚はゆるりと目を開けた。
ぼやける視界に、瞼をこする。
――ああ、自分は水を汲みに来て、こんな所で眠ってしまっていたのか。
なら先程のは、夢、か。
そう思うと羞恥に染まる。
隠された己の気持ち、こんなもの彼に知られてしまえば、一体何を言われるか分からない。
法師さま、心配してるかな……ふと思って、水おけを手にしようとそれを見れば。
揺らめく水面に、紫の影が。
「へ……?」
「おや、目が覚めましたか?」
「ちょ、法師さま!? ……い、いつからいたの?」
無防備な寝顔を晒して。
この助平法師、何か悪戯でもしたのではなかろうか。
疑念が渦巻く。
「な、何もしてないだろうね!?」
意外に近い距離を気にもせず、珊瑚は弥勒に詰め寄る。
「さぁ? しかし、お前、寝言で私の名を呼んでいましたよ」
くく、と悪戯心たっぷりに笑われて、珊瑚ははっと固まる。
あの、夢。
――あたし、寝言なんか……!
「い、言ってない! それより、何もしてないよね!?」
「いえ、言ってましたよ。法師さま、と。何もしてないかどうかは……お前、分かってるんじゃないですか?」
にい、と笑って彼女の額に弥勒は自分の額をくっつけた。
「ば、ばかっ……!」
瞬時に飛んできた平手をすいとかわして、弥勒は彼女の顎に手をかけた。
「感触、覚えていないですか……?」
耳元で、低く甘く、囁く。
「ばっ……!」
途端に熟れた果実のようになる珊瑚の顔。
そう、感触には覚えがあって。
夢は生々しくて。
最後の……最後の接吻なぞ、なぜかとても、現実味を帯びていて。
まさか、と己の唇をなぞり、彼の瞳を上目づかいに見つめる。
「接吻……したの?」
声は震えていた。
夢とは真逆の現実に、泣きそうにもなる。
「お前、分かっているでしょう?」
う、と珊瑚は言葉に詰まる。
指で触れた唇は熱を帯びているようだ。勝手に。
「こうして二人っきりで、私がこんな機会を逃すとでも……?」
くく、と耳元で笑う法師はそっと、自然に彼女を抱きすくめた。
嫌、とも言えず大人しくそこに留まる。
温かい、体温。
優しい抹香の香に、包み込んでくれる腕はどこまでも力強い。
心が、揺れる。
愛しい愛しいと木霊するかのように、揺れて行く。
心中の囁きは止まらない。
高鳴る鼓動も、止まらない。
「ほ、しさま……」
「何です?」
「あの……」
――もうちょっと、こうしてて。
甘える猫のように、彼の肩にそっと、自身の顔を埋める。
ひらり、とまた一枚、木の葉が落ちる。
それは水おけにまた入って、ゆら、と波紋を作る。
二枚の木の葉が揺れて、波は共鳴し、高くなる。
二人の心のように。
fin.
現在午後二時です。こんな時間に昼寝の小説を書くと、自分まで眠たくなってしまっておりました。
テーマはWe are all alone。
いつもの小説より、糖度高めを意識したのですが、ちゃんと甘くなっておりますでしょうか。
続きを、裏で書きたい気もいたします。
Fantasy!の方、少し停滞気味です。
続きを、と言って下さる方がいてとても励みになります。もう少々お待ち下さいf^^;
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。
2009.06.19 漆間 周