裸足の女神

「法師さま、どうする?」
「雨、ですなあ」

ぽつり、ぽつりと落ちた雫はやがてあたりの地面を色濃い茶に変えて行く。
霧も立ち込める森の中、二人は仕方なしに洞窟でも雨宿りを決めた。
妖怪退治の帰り道だというのに、ついていないことこの上ない。

「ああ……びしょびしょだ。法師さまも」
珊瑚は濡れて己の肌にぴったりと張り付いた小袖を嫌そうにつまむ。
振り返り見る弥勒もまた濡れねずみで、括った髪から雫が垂れている。
「ふむ……このままだと、風邪をひきますよ」
「そうだね、火でもおこして当たろうか」
「いえ、ただ当たるより脱いで乾かした方がい」
「助平!」

パチンと軽快な平手の音が洞窟に響く。
はぁはぁと顔を赤くしていきり立つ珊瑚と、あははー、と軽く笑う情けない弥勒の姿があった。

「違います、そういう意味で言ったのではなく。着ていると余計風邪をひきやすくなる。おなごが体を冷やすものではない」
「む……でも、法師さまだってびしょ濡れじゃないか」
「……ほう、珊瑚は私にも脱げと」
「違うわ、ばか」

「しかしまあ……とりあえず火をおこしますか」

こう湿り気が多いとなかなか火もつかない。
幸い洞窟の中には濡れていない枝があった。
時間こそかかれど、火はついた。

「ああ、温かい……」
ふぅ、と嘆息して珊瑚は手をかざす。

薄暗がりの中、ぱちぱちとはぜる枝の音と、揺らめく炎の光。
彼の人が火に当たっていないのに気付いて、珊瑚はあたりをくるりと見渡した。

「法師さま……」

洞窟の入り口で、錫杖を持って雨の様子を確認する弥勒の姿があった。
びしょ濡れのままで。

「ちょっと、ねえ」
やおら立ち上がって彼のもとに近づく。
「ん?」
背後から近寄って、肩に手を置いた彼女に向けられた目線は。

何とも言えず暗くて。
どこか怒っているようで。

「ほ、法師さま……?」
戸惑いに言葉がつまる。

弥勒は、珊瑚のずぶ濡れの服に目をやった。
ぴったり張り付いた小袖のせいで、その豊かな胸は強調されている。

視線に気付いた珊瑚が、頬を赤らめて胸を両の手でかばう。

「……全く」
はあ、と嘆息して弥勒は、しゅるりと袈裟の紐をほどいた。
墨染の衣に手をやって、やがて露わになった男らしい均整のとれた体に、珊瑚はなお顔を赤くする。

「ちょ、ちょっと……!」
「お前も、脱ぎなさい」

ふいに抱きすくめられるようにされ、帯に手をかけられる。

「っ、やっ……!」
拒んで逃げようとするにも、男は手を離してくれない。
「いいから。自分で脱ぐのであれば私は見ないようにする。言ったろう、おなごが体を冷やすものでないと」
肩を掴まれて、その少し怒りを露にした瞳に見つめられては、珊瑚も大人しく聞かざるを得ない。

「わ、分かった……分かったから、後ろ向いてて」

「分かったならよろしい」

ふう、と溜息一つ、弥勒は水に濡れた髪をぱさりとかきあげる。
散る水しぶき。
その肩に、伝わって落ちる水滴が――。

艶めいた彼の姿に高鳴る鼓動を隠し切れず、珊瑚は戸惑いながらも小袖を脱ぐ。
ちゃんと後ろ向いてるだろうね、と言って確認してから、彼に順番に着物を渡していく。

どうやら彼は容量よくそのあたりの枝で物干しを組みたて、かけているらしい。
何につけても器用な男だ。

「珊瑚、火に当たっておけ」
「もう……ちゃんと後ろ向いてるんだろうね!?」
「もう少し私を信用したらどうですか」
「……それは」

――違う。
そりゃ、確かに覗かれるかもしれない不安もあったけれど。
それ以上に。

――この傷を、見られたくないから。

「……ごめん」
一言呟いて、両の手で膝を抱え込む。
温かい炎。

傍らで背中を向けて胡坐している彼を見やる。
何やら、右手を気にしているようで。
先程から、手甲を透かして風穴を確認している。

「……ねえ」
「はい?」

彼は振り向かない。
約束を守ってか、それとも――。

「風穴。……さっきので、無理した?」

ぴくり、と彼の肩が動く。
だが大丈夫、と彼は言う。

――嘘、だ。

「無理、したんだろ。見せて」

羞恥も何もかも関係なく、珊瑚はふらりと立ち上がって彼を後ろから抱きすくめた。

「え、珊瑚……?」

驚いた彼の顔が、珊瑚に向けられる。
弥勒の目がとらえたのは、なめらかな肩の線と、そして――その、背中の傷。

ふ、と困ったように弥勒は笑って、再び前を向いて珊瑚に話しかけた。
「少しな。広がったようだ……」
「大丈夫」

珊瑚は背後から右手を取る。
抱き締める。

当然、二人の体は密着するわけで。

「……お前……」
誘っているのか?

時に大胆な彼女の行動に呆れつつ、弥勒はただ珊瑚に身をゆだねた。
柔らかい、愛しいおなごの体が自分を包んでいる。

珊瑚は右手を手にとって、大丈夫だから、と小さく呟いて愛しげに撫でる。

「珊瑚」
「何?」
「その、背中の傷は……」

はっ、と息を飲む珊瑚。
触れられたくないものに。
触れられて、しまった。

「……琥珀がつけた傷さ」

哀しげに目を伏せて、それでも珊瑚は前を見据える。

「って、法師さま……!?」

何を思ったか、その傷痕を左手をまわしてなぞる彼に珊瑚は抗議の声を上げる。
「や、やめて……!」

けれどその指は優しくて。
優しいその指が、珊瑚の傷痕を癒すかのようになぞる。

「法師、さま……その……」
何と言っていいか分からなくて。
言葉につまった彼女に弥勒が声をかけてくる。

「お前は……こんな傷があってもどうして笑っていられる」
自嘲めいた言葉。
「私は、風穴がただ少し広がっただけで、こんなにも臆病になるのに」

「あたしは別に。法師さまに比べたら、どうってことない」

家族を失った。
帰る場所を失った。

それでも。
それは自分の死を意味しない。
しかし彼の場合は直接彼自身の死を意味する。

「違う。どうしてお前は、そんなに強い」

――痛みを知る眼差しは 深く澄んでも 萎れることはない――。

「そんなことないさ。法師さまだって、ちゃんと強い。あたしなんかよりずっと強い。あたしは……あたしは……犬夜叉たちがいなかったら今頃は」

「珊瑚」

突然、押し倒される体。
目線の先には弥勒の強い眼差し。

「ちょ、ちょっと……! 見ないって約束したろ!?」
「違う」

突然、重ねられる唇。

「あ……う……」

腕は首筋をなぞって、胸をなぞって。
上気する頬と息。

「ほ、しさま……?」

――ねえ、今あなたは何を考えてる? 何を見てる?

されるがままに動かされる体。
反応する声。

洞窟に響き渡るそれが止んだのは、雨より後のことだった。


fin.



色っぽい法師を目指してみましたが、色っぽくないなあ。
他サイトさまのかーっこいい法師にとってもあこがれます。
これまた、詳細は裏で、て感じですね。
最近更新しておりませんが。
タイトル、モチーフは例によってB'zの「裸足の女神」より。
ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.07.03 漆間 周