草木は、こんなに美しい緑をしていたろうか。
水は、こんなに透明で青かったろうか。
風は、こんな色をしていたろうか。
そっと、目をつむる。
それは暗闇の世界。
それでも、瞼から差し込む太陽の光のせいで、橙が見える。
この、隣の愛しい人は、こんなにも優しい姿をしていたのだ。
「ねえ、法師さま」
からかうようにそよぐ風に、なびく髪を押さえ、珊瑚は弥勒の肩にもたれる。
「見えないと見えてくるもの、って何だったの?」
足元の野花をもてあそびながら尋ねる珊瑚に、弥勒は微苦笑する。
「お前は、何だと思う?」
「……ん……見えなくなって……最初、あたしは一人ぼっちだと思った。でも」
「でも?」
「……でも、その。法師さまが」
ふ、とはにかんで彼女は続けた。
「見えた気がしたから。――でもそれが、法師さまの言う仏の教えどうのこうのかは分からないけどさ」
そうか、と弥勒は答える。
自然と刻まれた笑みが、その右手を彼女の髪に連れて行く。
「――私は……やめておこうか」
真面目に話そうとして、止めた。
男の矜持など、つまらぬものだと思っていたが。
それでも、あの妖怪との闘いの後、倒れた珊瑚を抱きしめて思わず涙したなど――言えない。
とん、と珊瑚の肩を抱いて、弥勒はその香を楽しんだ。
「ただ……お前の姿が見えるだけで、こんなに安心するものだとは、思わなかった」
ふ、とどこか哀しげで、しかし安堵に満ちた表情で彼は珊瑚を見つめる。
珊瑚の目は不思議そうに揺れる。
「あたしが、見えるだけで?」
「ああ」
「そっか」
ふふ、と嬉しそうに刻まれる笑顔。
そして彼女は言う。
あたしもだよ、と。
「ねえ、見えるものが全てじゃないんだね」
「ま、そう般若心経にありますが」
「そうなの?」
「ええ」
――そっか。
呟いて、珊瑚は弥勒の横顔を見る。
そう、見えない目で見るのと、実際に見るのはこんなにも違う。
けれどどちらも違うのかと言えば、そうでなくて。
心の目で見た彼も、この目で確かに見る彼も、自分を支えてくれる大切な仲間。
愛してくれる、手。
見えない世界で見たものは、確かな真実だったかもしれない。
自分が一人でないという証を。
そして、自分は一人では歩いていけないという証を。
「法師さま」
「何です、さっきから」
「ううん……なんだか、妙に考え込んじゃってさ」
「何もそんなに考え込む必要はありませんよ」
彼は軽く笑う。
けれど、確かめたかった。
「法師さまは、あたしと手をつないで歩いてくれた」
「? それは、どういう?」
「だから……つまり、その。上手く……言えないんだけど。法師さまも……あたしの手、必要だった?」
足元の花を手折って、彼の髪にさした。
特に意味はない。
弥勒は意外、という顔でその花に手をやり、珊瑚の髪にさし返す。
「当たり前、でしょう」
日の光にゆったりと包まれる、二人だけの空間。
風が嫉妬するかのように吹きこんで、珊瑚の髪の花をさらう。
あ、と伸ばした手を、法師はそっとつかんで抱き寄せた。
「お前がいなくて、どうして歩いて行ける?」
耳元で囁くのは、あの時の涙の意味。
抱き締めているのは自分のはずなのに、なぜだか包み込まれている感覚に襲われる。
「あたしも……だよ」
きゅ、と襟元を握って、珊瑚は心地良さそうに目を瞑って言った。
――あなたが、支えてくれることが。
花は風に乗りどこかへ行く。
けれど。
この瞬間の逢瀬は心に刻まれる。
あの花は、ここになくったっていつまでも見える花だから。
どこまでも、飛んで行けばいい。
fin.
もう歌しかきこえない、の後日談SSです。
自分でも上手くまとめ切れなかった部分が多々あります。
書いてしまうと、雰囲気が壊れる。けれど書かないと、伝わらない。
なので詩のように、曖昧に抽象的に(ある程度)書いたつもりです。
あとがきに書くこともなんだかまとめ切れておりません(苦笑)
まあまあ、とにかく。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
2009.07.22 漆間 周