いつか、本当の

姉上、と悲痛な声は耳について離れない。
あの無残なまでに飛び散った血は目をつむれば蘇る。
鮮血が自分を染めている。
罪が自分を染めている。

あの、瞬間から、自分の体には鎖が繋がれた。

復讐を胸に誓って。

四月の風は穏やかだ。
けれど、止まない嵐を心の内に抱えて、どうしてそれに気付ける?

く、と唇を噛みしめて、珊瑚は今宵の宿からそっと一人、出た。
そこには仲間だと言ってくれる人がいる。
優しい異国の少女がいる。
彼らは里の皆を弔ってくれた。
感謝はしている、それでもなぜだろうか、笑顔で話そうとする度引き裂かれるような痛みを感じるのは。

静かな、静かな夜。
草木さえ鼓動を止めたその一瞬の停滞に、しゃらんと涼しい音を聞いた。

一人雲母も連れず歩いていた珊瑚はふと顔を上げる。

驚いた様子の彼女の顔に彼の法師はにこりと、笑顔を向けた。
心底の笑顔など見たことがない。
だから、大して気にもせず、村の中ほどにある川へ向かった。

足元の虫が驚いて逃げる。
同時に、そのしゃらしゃらという音は背後からついてくる。

――鬱陶しい。

そう思ってちらと後ろを見やれば平生の如くの彼が歩いている。
自分には関係ない。

河原に、そっと腰を下ろす。
夜露の呼吸が聞こえる。
それはとても穏やかだ。
自分の呼吸とは違って。

ただ何も考えず、膝に顔を埋めた。
何も、考えない。
必死に歯を食いしばっても、どれだけ考えないようにと思っても、瞼を閉じれば蘇る光景。
見えなくとも、心の中のざわめきは止まない。
蠢いて蠢いて、自分を縛りつける。

ただせせらぎの音を聞いていた。
もし涙が流せたら、きっとこの川よりもっと……激しいか、それかもっと小さく、滴る雨だれのようになるだろう。
もう、涙など出やしない。

――あたしの代わりの、涙だ。

ぽちゃん。
安らかな音に突然割り込んだ無粋な石ころ。
投げ込まれた方を振り返れば、あの法師がいた。

――ずっと、いたのか。……何がしたい。

邪魔をするな、と瞳で訴えかける。
が、彼は珊瑚の意図が分かったであろうに、反して河原の上から話しかけてくる。

「どうしたんです、こんな夜中に」

「放っといて」

「放っておけないからついてきました」

――何を……。

いつもの彼の行動を思い出す。
行く先々で女を引っ掛けては口説く。
自分もその手に乗せようとでもしているのか、と珊瑚は苛立った。

手元の小石を後ろに投げる。
カン、と錫杖の先端に当たった音がした。

また小石が投げられて川の音を止める。

喧嘩でも売っているのか何か知らないが、苛立ちはつのるばかりで、珊瑚はがばりと立ち上がって、先ほどより少し大きな石を男に投げた。
鋭く苛烈な光を放つ瞳で。

彼はその石を除けもせず、おや、という顔をして笑った。

ただ笑っただけのその行為は、珊瑚にとっては苛々指数を更に上げるものでしかなかったが――しかし、もうそれも上がり過ぎたようだ。
なんだかもう、どうでもいい、そう思えて珊瑚はため息をついた。

「何がしたいの」
「別に」
「そ」

素気なく返して、珊瑚はまた河原へ向かう。
手を少しだけ、その水に差し入れた。

「ふぅ……」

柔らかい。
水は、柔らかい。
復讐に凝り固まった自分とは違って。

「珊瑚」
突然、真後ろから聞こえた男の声。
振り返れば、彼の手には自分の元結が握られていた。

「あ……」

ざあ、と風にまかせてその長い髪が散る。
ふらりふらりと揺らめいて、水の如く、柔らかに自由に。

「……そんなに己の心を縛りつけずとも良い」

男は、笑顔ではなかった。
それは至極真面目な顔だった。
初めて見た彼の素顔だった。

「どうして……そんな……こと……」
――あたしの何が分かるって言うのさ……!
顔を背けて叫べば、それは声にならなかった。途切れ途切れに千切れ落ちる。

それは苛立ちにも似て、怒りにも似て。
そして悲哀と共につ、と伝い落ちた涙。

は、と珊瑚はその塩っぽい味を感じて顔を上げた。
涙を流している自分など見られたくない、そう思った時には法師は珊瑚を抱きしめていた。

「な、何を……!」
振りほどこうとしても、彼は離してくれない。
強いようで、優しく抱きよせた腕がそっと背中を叩く。
赤子をあやすかのように。

「泣いて……泣いて……いつか泣きやんだら、笑えるようになるでしょう……きっと」
私は、そのお前の笑顔が見たい。

真摯な声で囁かれる。

「……どうして、石を投げたの」
「お前の心の涙を止めたかったから」
「……ならどうして今泣かせてるの」
「お前に本当に泣いて欲しかったから」

「そう……」

――あんたこそ、泣きたくても泣けないくせに……。

想いは伝わったか、彼はわずかに苦笑する。

「男は、いいんです。それで」
「ばかみたい……」

その言葉と共に零れたのは、苦かったが小さな笑い。

「ほら、笑えた」

珊瑚の頬を両の手で包み込んで、彼は言った。
そんな彼も、どこか心底の笑みを浮かべているように思えた。


fin.



珊瑚が一行に入ってまだ少し、という時期。
四月にしたのは元のイメージ曲が「パリの四月」だったからです。
ですが、そこまでパリの四月の雰囲気にならなかったので、タイトルは別にしました。
まだぎこちなくしか笑えない、泣けない、そんな二人。
煩悩部屋で壊れていますが、平常更新も出来ますよ、とアピールです(笑)
何も考えずパリの四月の歌詞、「パリの四月に出会うまでは笑いも歌もなかった」という流れで書き始めたら、なぜか法師が石を投げ始めました。珊瑚も投げました。
そして、なぜか元結を外してしまいました。
いつも書いていて楽しいのは、自分の中の弥勒と珊瑚がどんな風に動いてくれるのか形として見られるから。(それは多分、原作とは違う私の、弥勒と珊瑚像です)
つくづく二次創作はやめられません。
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.07.29 漆間 周