黒より暗い白

こんな夢を見た。

私は何もない草原に立っていた。
風がひどくうるさかった。
なびく草は波紋を作って、どこまでもどこまでも駆けていた。

後ろから、するすると布を引く音がした。

私は振り返った。
自分が手にした錫杖がしゃらんと鳴って、風が一瞬凪いだ。
そしてまた、風は吹いた。

近づいてくるのは死装束をまとった女だった。

どうしたのですか。

声をかけた。

女は何かを呟いた。
だが、風の音があまりにもうるさいので声がきこえない。

え、と聞き返した瞬間だった。

さらに激しい空気の、風の音が鳴り、それは苛烈な悲鳴を上げた。

女の装束が吹きとんだ。

目と目が、合った。
私は、はと目を見開いた。

親しい、否、親しい以上の言葉で表せるはずの女がそこにいた。
女は右手を必死に抑えていた。
風は止まなかった。
女の顔は恐怖と苦痛と、そしてそれを遥かに超越したような表情を浮かべていた。

やがて全てを切り裂く音が聞こえ、草原にぽつりと大穴だけが残された。
何もない、空っぽの。

彼女が風の向こうへ消え行く瞬間、その口は言の葉を刻んでいた。
さ・よ・な・ら、と。

ぐらりと視界が歪んだ。

***

ひどい寝汗をかいていた。
鼓動はあり得ない速さで警鐘を鳴らしていた。
はっと目を見開けば天板の木目があるだけで、横には仲間の姿があった。

だが、肝心の彼女が――居ない。

弥勒は己の右手をそっと確認した後、ふぅと白い夜着でこめかみの汗をぬぐった。
ゆっくりと体を起こし、気配を殺して宿を出る。

――あんな夢を見た後ならなお、放っておけるものか。

外に出てみれば、夢と同じように風がひどくざわめいていた。
なぜか、なぜか夢が事実であるような思いにとらわれ、弥勒は走った。

そこはどこか、夢の光景と似た場所だった。

月あかりさえないその中を、弥勒は走った。

――……居た。

一人、長い黒髪を揺らして、真っ白な夜着のままで珊瑚はそこに立っていた。

その夜着だけが、暗闇にぼうと浮かびあがっていた。

息を切らす弥勒に気付いたのか、彼女は振り返った。
どうしたの、と平生通りの顔で、首を傾げる。

「……珊瑚!」

駆け寄って縋るのは彼女の体。

急なことに彼女はただ驚いて法師の体を受け止める。

弥勒は珊瑚の右手を見た。
真っ白な、普通の右手だった。
何度も何度もそれを確認する彼に、珊瑚はふわりと笑った。

いつの間にか、弥勒は珊瑚を押し倒していた。
黒にしか見えない緑の上に散らばる黒髪。
いつもならば頬を染める状況なのに、ただ彼女は笑っていた。

――なぜ、怒らない。なぜ。

困惑する彼の唇に、女は人差し指をそっと押し当てた。

すいと伸ばされた腕は自分の肩に回った。
赤子をあやすかのようにとんとんと叩く彼女の腕。
やっと落ち着きを取り戻したかのように、鼓動が常の速さへと戻って行く。
はぁと息をはいた。

彼女は耳元で何か言った。
口許だけが見えていた。

そして恐らく彼女はこう言っていた。

だ・い・じ・ょ・う・ぶ、と。


Laugh like a child.



白黒のサイレント映画のイメージで。
冒頭文は夏目さま丸パクリ。
珊瑚がなぜ一人外にいたかは、ただ単に寝付けなかったからでしょう。
直接台詞が一つしかないので、相当分かりにくいと思いますが、何が言いたかったかと言うと私の男像かもしれません。
あー、これ創作だな。別にこの男女が弥勒と珊瑚じゃなくてもいい。
すみません、今度はちゃんと弥珊を書きます。
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.08.01 漆間 周