マブイのいたずら

「かごめちゃん、雲母が! 雲母が!」
朝から珊瑚の悲痛な叫びが聞こえ、何事かとかごめと犬夜叉は目を覚ました。

半分涙をたたえた瞳で、珊瑚は雲母の小さな体躯を両手で掲げている。
そしてその雲母はと言えば、まるで死んでしまったかのようにぐったりとして、ぴくりとも動かない。
え、とかごめは呟いて雲母に触れた。

――温かい?

「大丈夫よ、珊瑚ちゃん。生きてるわ」
「でも……ぴくりとも動かないんだ! 息はしてるけど、魂が抜けたみたいに……!」
長年連れ添った相棒の異変に、珊瑚は動揺も露わ。
いつもは退治屋らしく何が起こっても冷静に対処しようとする彼女らしくもない。

「うーん、こいつぁ……魂抜かれてるみてえだなあ」
「そうかの?」
ううう、と呻くばかりの珊瑚の腕から雲母を取り上げ、振り回しているのは犬夜叉である。
彼なりの生存確認らしい。
「ちょ、ちょっと犬夜叉! 乱暴はやめてよ」
「おい、雲母、おらじゃぞ、七宝じゃぞ。返事をせい」

犬夜叉が尻尾をつかんでぶら下げる雲母に、ぱちぱちと掌を当てるが、雲母は動かない。

「……雲母が……雲母が……死んでしもうたあー!」
びええ、と泣きだす七宝にうるせえ、と犬夜叉の拳が炸裂した。
片方の手で雲母がぶらりと死骸の如く揺れる。
「いいか、七宝。こいつぁ魂が抜けてるだけだ。よく見てみろ、息もしてるしあったけえ」
かがみこんだ犬夜叉の言葉に、七宝は恐る恐る雲母に触れる。

確かにその柔らかい腹は上下していたし、生き物として然るべき体温を持っていた。

「ほ、本当じゃ……」
ほう、と息を吐いて七宝は零れかけていた涙を拭う。
「な、なら楓おばばに相談するのが良いのではないか!?」

呆然と犬夜叉の左手にぶら下げられた雲母を見つめて立ちすくむ珊瑚に、七宝は言った。

「そ、だ……ね……」

そして楓の前に置かれた雲母。
楓はふむ、と雲母の体を探る。

「こりゃあ、魂駆けじゃのう」
ぽん、と軽く老巫女は告げた。
「妖怪なんかの仕業じゃあ……?」
「うむ、違うな。これは雲母自身望んで切り離したようじゃ」
「けど、なんで」
はぁ、と珊瑚は溜息して、雲母の腹を撫でた。
「さあ、行方知れずの魂といった状況じゃが、いずれ還ってくるじゃろう。魂そのものが傷つけられんかぎりは」
ところで、と楓は言う。
「法師どのの姿が見当たらぬが?」

その言葉にしん、となる一行。
七宝がそう言えば朝からおらんかったのう、と呟く。

「んあ、あいつなら夜中にどっか行ったぞ?」
「……女遊びかのう」
「はぁ……こういうことは法師さまが結構頼りになるのに……」
「おい珊瑚、女遊びはいいのか、女遊びは」
いつもなら何さ人が困ってる時に云々、と続くはずの文言がなかったものだから、七宝が厭味に珊瑚を試す。
「女遊びより雲母だよ……」
比較対象のいささか異なる言葉に七宝はげんなりとした。
「珊瑚、おぬし弥勒と雲母どっちが大事なんじゃ……」
こうなると弥勒がちと可哀相じゃの、とぼやいて、七宝はしたり顔で床に座り込む。

「これはおらの推測じゃがな、きっと雲母は仲間のところへ行ったんじゃ!」
「七宝ちゃん、でも魂だけよ?」
「ううん、それはー……それはー……どーしても会いたかったからじゃ!」
痛いところをつかれて七宝は論を無理矢理こじつける。
いい加減なこと言ってんじゃねえ、と犬夜叉がぼやいた。

「そういえば……またハゲ……ある……」

じと、と恨みがましく犬夜叉を見る珊瑚。

「え!? あ、お、俺あ、あんときから風の傷の練習になんて使ってねえぞ!?」
その暗いオーラが自分にまで及ぶのを恐れて、かごめも先手を打つ。
「わ、わたしも、便利な運び屋みたいに使ってないから、大丈夫、大丈夫!」

「ハゲ……」

珊瑚、珊瑚ちゃん、と一行が口ぐちに呟いて頭を押さえた。
その様子があまりにも、弥勒に目の前で女を口説かれている時以上に落ち込みを見せていたからだ。

「ま、とにかくここで雲母の魂が還ってくるのを待つのが良いじゃろうな」
楓の言葉に全員が頷いて、今日一日が待つ旅になることが決定された。

***

「雲母……」
抱き抱えるのは空っぽになってしまった愛猫のからだ。
川べりにいるのは、魂というのはこういう場所に寄るものだと以前聞いたことがあったからだ。

「お前、どこに行ってしまったの?」
赤い宝石のような目は開かない。
いつでも愛らしく自分を見上げ、そして頼もしく背中に乗せてくれた猫又。
もし、また何か雲母が嫌だと思うことがあって魂だけ逃げ出したりしたのなら――。

せめて、と思って、野花を手折って花冠にして、小さな頭にのせた。
するとまるでそれは、本当に死んでしまったかのようになって……だから、珊瑚は取り払って投げ捨てた。

かさ、と背後で音がした。
「折角作ってくれたのに」
聞きなれた男の声がする。
けれど、それはその人の話す口調ではない。

「法師さま……?」

振り返れば案の定の、黒衣に紫袈裟の男がいた。

「わたしにも話す口があればと思っていました、七宝ちゃんみたいに」
「……は?」

――七宝、「ちゃん」?

この男は七宝をそんな呼び方でしたことがあったろうか。
ない。絶対に。

「! お前は誰だ」
「何を言っているんです、ご主人さま。雲母です、あなたの」
「ばか、雲母は魂駆けして……! 法師さまこそどこに行ってたのさ、こういう事は法師さまが詳しいから聞こうと思ってたのに!」
からかうな、と言わんばかりにつかみかかる彼女の腕に、弥勒の姿をしたモノはやめてやめてと言う。

「信じて、わたしは雲母なんです。弥勒どのに掛け合ったのです、声を貸してくれないかと」
「信じられるもんか」
無愛想に返す声。
「そうしたら、一日体ごと貸してくれるとおっしゃって下さいました。魂を切り離すのは大変だから、一日しかもたない、貸している間は私がお前の体に入っていましょう、と言って」
「じゃあ証拠」
「証拠ですか?」
ああ、と珊瑚は頷いた。
そして遠く里の景色を思い浮かべる。

弥勒は知らない、雲母でないと知らないはずの秘密――それを答えられたら、雲母だと信じてやろう。

「……母上の名は?」
「  」

どうせ法師の悪戯に決まっていると決め込んで、後を向いてだんまりを決め込んでいた珊瑚が固まった。
ばかな、と嗤う。

「じゃあ、あの時琥珀は何て言った? 奈落の城に向う途中、あたしが注意したことに」
「       」

ふ、とひきつったかのように唇が固まる。

「まさか、本当に……?」

振り返って黒衣の男を見上げる珊瑚の目に、涙が浮かぶ。
泣かないで下さいご主人さま、と言って、中身は雲母だという法師がぺろりと涙を舐め上げた。
「ほ、法師さま……じゃない、雲母、ちょっとその姿でそれはやめてくれないか」
「どうしてですか」
「どうして、って……」
戸惑いがちに弥勒の髪をなぜる珊瑚は、分かってくれと瞳で訴えかける。

「そうでした、ご主人さまは弥勒どのに惚れていらっしゃった」
くすくすと雲母は笑う。
「ほ、惚れてないよ、雲母!」
「なんで、わたしはご主人さまと弥勒どのが逢瀬をしているのを何度も見ましたし、ご主人さまが弥勒どのがそこかしこのおなごに手を出すので怒ってらっしゃるのもずっと見ていたのに」
なお笑う雲母に珊瑚はお手上げ、と笑い返した。

「この花冠、あげるよ、雲母に」
投げ捨てたそれ――案外遠くまで飛んではいなかった、を拾いあげて雲母の頭にのせてやる。

「でも、今の雲母には小さいね。もっと大きいのを作ろうか」
「手伝います」
「うん、雲母も一緒に作ろう」

大の男相手に花冠なぞおかしな話だったが、中身が雲母であるというのであれば構わない。
ふとした瞬間に、それが弥勒の体であることを意識してしまうことを除けば。

「どうして法師さまと取引してこんなことしたの?」
「……ご主人さまと話したいことがあったからです」
はたと珊瑚の手が止まる。
「それは、特別なこと――?」

嫌な予感が珊瑚の頭をよぎった。
例えば、もう一緒にはいられないだとか。
それを告げるために、無言でいなくなるのは嫌だったからこうしただとか。

「違います、単にご主人さまと話したかった、言葉を操れる妖怪のように。わたしがもっと、高度な妖怪であったなら良かったのに」
雲母の返答にほう、とため息をついて、珊瑚はそんなことないよ、と答えた。
「雲母はいつでもあたしの側にいてくれる。退治の時は勿論、普段の時だってそうだ。辛い時も楽しい時も、ずっと一緒にいてくれた。犬夜叉たちだって、みんな頼りにしてるし、仲間だと思ってるんだよ」
嬉しそうな顔でにこにことするだけで、何も言わない雲母にん、と珊瑚は首を傾げた。

「どうした? 雲母」
「こうしているだけで幸せですから」
ふふん、と雲母は得意げに珊瑚の膝の上の自身の体を見つめた。
「だって弥勒どのにとっては特別なご主人さまの膝の上は、いつもわたしのものです。そして今は弥勒どのにとって普通のこの場所もわたしのものです」
くつくつと、どこかしら猫じみた所作で体を動かす。
「弥勒どの、もう種明かしはしたのですから、死んだふりはいいですよ」

「うえ!? 死んだふり!?」

ぎょっと珊瑚が膝の上の雲母の脱け殻だと思っていたものを見れば、ぴく、と耳が動いたではないか。

「弥勒どの、まだ膝の上が良いのですか? 先ほどの犬夜叉がしたようにしますよ」
そして、雲母の手が体の、その二つの尾に伸びる……と。
びくっ、と脱け殻雲母は動いて、慌てて膝の上から降りた。
みぃ、とどこかあの男を思い出させる感じで立ち上がり、恨めしげに自分の姿をまとった雲母を見つめる。

「そこはわたしの特等席です、弥勒どのにいつまでもゆずってはおきません」
しかしなお膝の上を獲得しようと粘る弥勒雲母に、雲母弥勒は喧嘩を仕掛ける。
「どきなさい!」
「みぃ〜」
「おどき!」
「みぃみぃみぃみぃみぃみぃ」

仕舞いには花冠を編み続ける珊瑚の膝の上で両者睨み合う始末。
唖然として手をとめ、その様子を見つめる珊瑚。
体の大きい雲母弥勒の方に分があった。
ぐい、と押しのけられて膝の上は雲母弥勒に制圧された。

一方征服されしものは恨めしげに自分の体を睨む。

心地よくいつもの特等席を得た雲母は、しょぼくれた弥勒に追い打ちのあかんべえをかました。

「二人とも、大人げないよ」
少しだけ、追いだされた弥勒の方がかわいそうなものだったから、珊瑚は花冠を雲母弥勒の方に被せてやった。
すると雲母弥勒は誇らしげにそれを雲母に見せ、尻尾を振り振り、珊瑚の周りを一周する。

「法師さま、あんたずっとそのままの方がいいよ、せくはらしないし」
「そうですね、ご主人さま」
ふふふ、と笑い合う主従に雲母弥勒はむっときた。
体をちょっとばかし貸してやったのにどういう了見だとむっときた。
ので、珊瑚の頭の上に鎮座する。

「おやおや、高天が原におはします弥勒法師さま……」
馬鹿にするかのようにからかう雲母。
珊瑚は言葉を出す暇もなく、二人というべきか二匹というべきかの動きにくるくると目を回されるばかり。
頭の上で花冠を誇らしげにかぶって、したり顔で弥勒雲母を見降ろす弥勒を上目づかいに見るばかりだった。

なぜだろう、魂が入れ替わるとこうなるのだろうか。
法師は法師で、確かに彼の姿をしているのだが、微塵も男性らしさや普段の弥勒を感じさせない。
一方雲母はこれでもかというくらいに弥勒だ。
こんな厭味な雲母は見たことがない。
見た目優しく中身はアレということは共通項だったけど。

そっと頭上の弥勒を下ろして、珊瑚は膝の上の雲母に問いかける。
弥勒は両手の中で暴れていた。
捨てるぞ、と脅して大人しくさせた。

「今日一日、雲母と法師さまは入れ替わったままの予定なの?」
「はい、けれどご主人さまが戻れと言うのなら、全く」
「ううん、雲母の好きにしたらいいさ。折角人の体になったんだ、何かしたいことはない?」
「……いいえ、特には。本当に、お話できるだけでわたしは幸せ」
「そっか」
ふふ、と珊瑚は笑う。
「でも……ご主人さまの大事な弥勒どのがそろそろヤキモチも限界なようですし」
ふぎゃふぎゃと毛を逆立てる雲母弥勒を珊瑚は見る。

――そうか、嫉妬しているのか。

「別に、法師さまのことなんて考えなくていいんだよ?」
雲母弥勒はみぃ、と悲しげに鳴いて項垂れた。
それでも放置される身である。
「いいえ、わたしはご主人さまが大事ですから、ご主人さまが大切に想ってらっしゃる弥勒どのも大切なんです。そろそろお暇します」
「そっか……雲母はこんな風に喋るんだね。知らなかった」
「いいえ、わたしも人の言葉で話したことなどありませんから、これは弥勒どのの話言葉を少し真似たのです。最後に一つだけ良いですか?」
雲母は膝の上から体を起こす。

「何?」

「いつも、ありがとうございます」

無垢に刻まれた破顔一笑と共に、弥勒雲母の唇が珊瑚の唇に触れる。

「これが、親愛の情を示す行動だと弥勒どのからお聞きしましたので」

唖然と唇を押さえる珊瑚に微笑みかけて、弥勒どの、と自分の体に雲母は呼びかける。

「もう元に戻して下さって構いませんよ」
「み」
「ああ、あのお札ですか、分かりました」
「みぃ」

無愛想に返す本体に苦笑しながら、雲母はでは少し待っていて下さいと言って森の影へと消えた。

自然と微笑がこぼれる。
法師さまと雲母、二人と一匹で過ごす時間は多い。
弥勒が弥勒で、雲母が雲母で、その平生こそ至極穏やかと思っていた。
けれど逆になった時こんなにも弥勒が単刀直入に感情を表すとは。
雲母はきっと素直な良い子だろうと思っていたが。

やがて、弥勒と雲母が帰ってくる。
涼やかな錫杖の音はやはり彼が持ってこそなのだろうか。
雲母が握り締めていた時は全くと言っていいほど聞こえていなかった気がするのに、どうしてだか今は心地良く胸に響く。

「珊瑚」
「み」

夕焼け空の逆光で、二人の表情は見えない。
見えないけれど、どこか楽しそうにしているのだと珊瑚は思った。
あるべき姿に戻って、そしてやっと心にすとんと入り込み落ち着く時間がやってくる。
法師の声音は確かに弥勒だったし、雲母の鳴き声もいつもの雲母だった。
ちょこんと肩に乗った雲母の顎を弥勒は撫でている。

珊瑚は土手を駆け上がって、勢いよく二人に抱きついた。

「法師さま……雲母……あたし、大好き!」

あははは、と崩れる姿勢も構わず雲母と弥勒に抱きつく珊瑚。
雲母は嬉しそうに鳴いたが、弥勒の方は複雑な笑みを隠せない。
あのね、私がどれだけやきもきしていたかお前分かって、と呟くのだが、嬉しそうにはしゃぐ珊瑚の耳には届かない。

そして弥勒ももう諦めて、これだけ珊瑚も喜んでくれたなら苦労した甲斐はあったかな、と思うのだった。

錫杖の音は、彼でないと鳴らせない。
雲母が話したのは今日だけの奇跡、そして二人と一匹の間の、秘密。


fin.



金沢にて。どうも時間があると踏んでいたのにございませんでした。
遊ぶのも仕事の内、そういうわけで時間が食いつぶされていったのです。
というわけで帰る直前のこの日になってこれをやっと書くことが出来ました。
魂の入れ替えが妖怪と人の間で可能なのかは不明ですが、書いていてとても楽しかったです。
ふてぶてしい雲母弥勒が楽しかった。雲母の性別は女の子だと思うのですがね。
「ご主人さま」は人と区別感を出すために使用しました。
入れ替わった二人は、∀ガンダムのようにDキエルとかKディアナの表記で行っております。
そしていつもの如くタイトルに悩んでました。マブイ、は沖縄語で魂の意味です。
厳密には日本語の魂と意義が異なりますが、魂の、よりも語呂がよかったので使用しました。
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.08.19 漆間 周