語る言葉はいつまでも

おなごは、風呂が好きだ。
今この状況も、そのせいだ。

元はと言えば、旅の途中でたまたまかごめが見つけた天然の温泉。
彼女は温泉を見つけると何かと入りたがる。
目をきらきらさせながら、「ね、いいでしょ?」と犬夜叉に言うものだから、せっかちな彼も根負けしてしまう。
けっ、勝手にしやがれ、と言わせればそれは許可を得たのと同じ意味。

夕暮れのこの時刻、野宿の前に一行の乙女二人と子狐妖怪は、たっぷりと温泉を堪能していた。
何かあってはいけないので、犬夜叉と弥勒が見張りにつくのはいつものこと。
珊瑚は、犬夜叉はともかく法師さままこそ何かある、の原因じゃないの? とうそぶいていた。
けれど旅の途中で分かるように、ただの助平法師にしか見えない彼も、覗きなど卑怯なことはしないと彼女は分かっていた。
だからそうやって言うのは、半ば合言葉のようなものなのだ。

今、犬夜叉と弥勒は、乙女二人の入る温泉に背を向け、二人火をたいて話をしている。
きゃっきゃと交わされる二人の楽しげな声を聞きながら。

「……ってかおめえ、いっつも覗かねえのな」
眠っている雲母を見つめてから、いつものガラの悪い姿勢のまま、ちらりと弥勒に目をやる。
彼はこの上なく平常心で、焼いた魚を頬張っていた。
「ほふひへは、ほふへふへ」
「食ってから喋れ……」
はぁ、とため息一つ、犬夜叉は腕を上げて腰をのばす。
ごくっとやり水を一口飲んだ弥勒は、改めて返事をした。
「……ふは、そういえばそうですね、と言ったんです」
「助平野郎のくせしてよ」
「そんなに助平助平して見えます?」
にこり、と邪気なく見つめられて、こいつ自分の行動分かってんのか、と犬夜叉は内心呟いた。
「見えるな」
「どのあたりが」
「全部」
その即答にやれやれ、と頭を掻く弥勒。

「覗きたくねえのか、お前は」
「…………見てえな」

ばきょ。
犬夜叉の拳が弥勒の頭に炸裂した。
てへへ、と苦笑して弥勒は続ける。
「分かってませんなあ、お前は」
「分かってねえのはお前だろ。普段の行動考えてみろよ。ちったあ珊瑚の気持ちも考えてやれ」
「そういうお前はかごめさまのお気持ちも考えない行動が多いようですが?」
弱点を突かれて、うげ、と犬夜叉は呻いた。
そうだ、桔梗のことだ。

「俺は……」

――桔梗は、初めて俺をまともに扱ってくれた。好奇心は、いつの間にか好意に変わっていた。

「あのね、私は正直申しますと、珊瑚が初めて本気で惚れたおなごですよ。ですから二度目の恋をしているお前の気持ちは、ちとはかりかねる部分は多い」
まあ大体の予想はつくのですがね、と笑って弥勒は続けた。
「桔梗さまが、大切なのでしょう? 愛だとか恋だとか、そういうもの以前の感情として」
「お、おう……」
彼の言葉は、自分でも整理のつかない感情を説明してくれるかのようだった。
「それで、大切だから桔梗さまが危機に陥られたら助けたくなる。桔梗さまはお前をまだ好いている。だから、感情が揺らぐ」
違います?
真摯に見つめた弥勒の目は、とても柔らかかった。

「……自分でもよくわかんねえ。でもおめえの言ってることは当たってる気がする」
「桔梗さまを大切に思う気持ちを消せと言われても消せないでしょう。助けたくなる衝動は止められないでしょう。でも、その時にかごめさまがいつも不機嫌なのはいくらお前だって分かっているでしょう?」
「ああ」
「だから、かごめさまを好いているなら、その後きちんとかごめさまに説明して差し上げなさい。お前の桔梗さまへの気持ちは、大切にしまっておけばいい」

いつになく真面目に話す弥勒に、犬夜叉は己の不器用さを自覚する。

「俺あ、よく分かんねえ。おめえと違って、な」
腕を背後で組んで樹にもたれかかった彼に、弥勒はふ、と笑う。
「私とて、自分でも分からない部分は多々ありますよ」
あんだよ、と犬夜叉が横眼で促す。

「……いえ、自覚はあるかもしれませんがね。不安な時は思わず女の肌で紛らわしたくなる。私の悪い癖だ」

「それで珊瑚が傷つくのを知ってても、やめられねえか?」
「そうですねえ……珊瑚をそのように、玩具のようにするのは珊瑚への屈辱でしかないでしょう。それでも、風が鳴る日は不安だ。珊瑚が傷つくと知っていて街に出る。他に選択肢がないものかと思いもするのですがね」
「そうか……」

伏せられた仄暗い瞳に犬夜叉はどきりとする。
彼は心に闇を抱えている。
表面上物腰柔らか、人当たり良くとも、それはその闇を悟られまいとする鎧なのだ。
己とは正反対。

かける言葉が見つからずに、もどかしい思いを抱えて顔を伏せる。

「なあ、みろ……」

「上がったわよー」
発しようとした言葉はかごめの元気一杯の声に遮られてしまった。
「どしたのさ、二人ともなんか暗い顔しちゃって」
後ろからひょっこり顔を出した珊瑚が雰囲気を悟って声をかける。

「な、なんでもねえっ」
「ええ」

風呂上がりの上気した肌に、男二人はそれぞれの恋人にどきりとしながらも、心中を隠していた。

「犬夜叉も弥勒さまも入ってきたら? たまにはいいんじゃない?」
「野郎二人で何が嬉しいですか……」
「俺も同感だな」

「もうっ、犬夜叉まで弥勒さまの助平うつっちゃったの!? いいから入ってきなさいよ。私珊瑚ちゃんと二人で話したいの」
「ち、違う、そういう意味じゃねえぞ!? 分かった、入るからよ。……おい、弥勒」
「はいはい」

錫杖をしゃらん、と鳴らして弥勒がやおら立ち上がる。
「珊瑚、覗いてもいいのですよ?」
にや、と笑って彼は温泉の方へ向って行った。
その背中にこの馬鹿! と珊瑚が怒鳴りつけた。
いつも通りの、夫婦漫才であった。

***

横で衣服を脱ぎ始める犬夜叉を見て、はあとため息をつくと、弥勒も己の衣に手をかけた。

袈裟の結び目をほどいて、丁寧に折りたたむ。
次に墨染の衣を脱いで、次に白着。
均整のとれた体があらわになる。
手甲以外の全てを脱ぎすてて、たたんだ着物の上に錫杖を置いて、終わり。

先に浸かった犬夜叉が白銀の髪を湯になびかせている。
あああああ、と思いっきり溜息をついて犬夜叉の近くに体を浸した。
「ったく、野郎と二人温泉なんて……男色家でもねえのに」
あー、と不良法師の目つきで夕暮れの橙に染まった空を見上げる。
「おめえが男色だったら俺ぁ生きた心地がしねえ」
どっかの誰かさんを思い出しながらぶるり、と犬夜叉は体を震わせた。
「おれが男色でも多分お前は好みじゃねえよ」
どっちかっつーとお前の兄上の方かね、と物騒に呟く。

「なあ、弥勒。お前のその右手……どうなってんだ?」
温泉であっても手甲を外さない弥勒に犬夜叉が問いかけた。
「どう、って。風穴があるだけです」
「要は右手に穴が開いてるってことか?」
「そのまんまじゃないですか」
弥勒は苦笑して右手をすい、と持ち上げて夕日にかざす。
「手甲なしでも封印の数珠さえかけていれば発動しません。けれど、見ていてあまり気持ちのいいものじゃないでしょう?」
「そう……だな」
悪ぃこと聞いた、そう思って犬夜叉は彼と同じく橙の空を見上げる。

薄雲に淡い橙が注がれている。
太陽は小さい。
柔らかな風に、雲は少しずつ動いている。
忍び寄る月読尊に、橙と濃紺の合わさった不思議な色が空にある。

「珊瑚はよ、おめえのこと本当によく分かってんだぜ?」
「存じてます」
「甘えてねえか?」
「……甘えて、ますね」

そうだ、彼女をからかうための遊びも全部、彼女の気持ちも知った上での遊び、それは甘えに他ならない。

「私は……なぜ自分を産んだのかと父を憎んだ時期もありました」
「おう」
それは犬夜叉も理解できる。
迫害の対象となることを分かっていて、自分を産んだ父と母。
一方、呪を背負う運命と分かっていて、弥勒を産んだ父と母。

「けれど……愛する人がいれば、子を成さずにはいられないんですね」
それはただ愛の証なのか、本能なのか。だとしたら、それは哀しい。
けれど、それは、違う……。
己に真に愛する人が出来て気付いた、事実。
それは犬夜叉も弥勒も、同じ。

「私は、珊瑚と共に呪のない子を育てたい」
「だろうな」
おめえの親父も同じ気持ちだったろうよ。
そう言って犬夜叉は苦笑した。

妙に物わかりのいい彼の様子に、弥勒はなぜか心絆されるようで、がば、と左腕を彼の肩にかけた。

「犬夜叉」
「おい、気色悪ぃぞ」
「……間違っても、そういう意味ではない」

心外な、と笑って弥勒は彼の肩を優しくたたいた。

「お前の場合は、大変ですな」
くくっ、と笑う彼の表情に深刻さはない。
「どういうことでい」

腕を外して、彼と対面になる。
「半妖と人間の子」
真面目に向けられた瞳には、彼の将来を案ずるような心が垣間見えた。
「……俺は、人間になった方が、いいのか?」
不安になって犬夜叉が小さく呟く。
朔の日の自分の姿を思い出す。
犬耳のない、真っ黒な髪の自身の姿を。

「違うな」
「……なら、妖怪か?」
「……だからお前は分かっていない」

「かごめさまは本当に明るいお方だ。だから我が子が妖怪の血が四分の一混じっていて、たとえ迫害されようとも見事に育てられるだろう」
半妖のお前が、半妖のお前、そのままでいいんですよ。
そう答えて弥勒は髪をほどいた。
ざば、と湯に浸して洗う。
洗うとさっさと結びなおして、犬夜叉にそっと微笑んだ。

「我々みな、お前がお前だから信頼している。お前は、お前のままでいい」

そうかよ、一言返して犬夜叉は湯から上った。
続いて弥勒も立ち上がる。

「そうだ、犬夜叉……」
「なんでい?」
振り返った彼に、人の悪い笑みを浮かべてそっと囁いた。
「子作りの練習なら今からでもしておいて損はないですよ」

…………。

だからおめえは助平だって言うんでいっ!

犬夜叉の怒号がこだまして、弥勒が頭を押さえてうずくまっていた。
はは、と笑う彼らの頭上を鳥が飛んで行く。

もう空はほとんど紺。
わずかにのこった橙が木々の隙間から侵入してくる。

男同士の恋の話も、悪くない。

<了>

Fantasy!の2で乙女の恋話をしたので今度は野郎二人にやっていただきました。
男同士の友情は素敵です。
犬夜叉と弥勒、彼らは正反対だけど、たぶん、背中を預けられる無二の仲間。
そんな二人が描けていたら、と思います。
対面、と書いた時にああ久しく麻雀やってないと思った私はだめなんでしょうか。
ここまで読んでくださってありがとうございました。

2009.05.27 漆間 周