閑話休題 アイム・イン・ザ・ムード・フォー・ラブ

「で、なんで会長の家にあたしは連れて来られたわけ?」
珊瑚が弥勒の前でんん? と腕組みする。
帰り道は途中まで同じであったが、彼と珊瑚の家は反対方向。
ところが、その分かれ道で「ウチに寄って行きません?」という彼の言葉に半ば無理矢理連れて来られたのだ。

「ていうか……会長の家ってお寺だったんだ」
「ええそうですよ。知らなかったんですか? ま、厳密には寺ではなく塔頭ですな」
「ふうん」

その寺の敷地は随分と広い。
その中に、仕切られた小さな寺のようなものがあって、そこが塔頭というわけだ。

本堂の前の観音様の前で話ししていれば、突然小さな影が飛び出してきて、弥勒に飛びついた。
「おかえりじゃ! ところでこのおなごはおぬしがいつも話しておるおなごか?」
「ああ、ただいま、七宝。ええ、そうですよ。珊瑚と言います」
弥勒は肩に乗った七宝の頭をそっと撫でた。
「! 妖異!?」
驚いて珊瑚は思わず首の鈴に手をかける。
その様子を見て慌てて弥勒が制止に入った。

「妖異ではありませんよ。ただの妖怪です」
「ただの、って……まあ、可愛いけど」
「お前のところの猫又と同じだ」
「そっか……珍しく生き残ってる妖怪なんだね……ってなんで会長あたしの雲母知ってるの!?」
ええ、と学ランの襟首に掴みかかる彼女に弥勒はまあまあ、と手を上げる。
「私の情報網をなめてもらっちゃ困りますよ。このあたりにいる妖怪はほとんど把握しております。あの犬夜叉も、そうですな」
「ああ、そうか。だから……見えたのか」
「ええ、そのようで」

「あんた、七宝って言うの?」
珊瑚は優しい目で、その愛らしい妖怪を見る。
「そうじゃぞ。おぬしか、弥勒が惚れとるのは」
むふん、とにやけた顔で七宝が珊瑚の顔を見つめる。
「……は?」
唖然として肩から視線を移すのは、弥勒本人の顔。
「ええ、そうですねえ」
「ちょ、ちょっと! こんな小さな子狐に何言ってるのさ!?」
「別に。ウチの稲荷に昔から住みついている妖怪ですから。小さな頃から遊んでおりましたよ。そういう話もいたしますなあ」
とぼけた表情で何か問題でも? と言わんばかりの彼に珊瑚は呆気にとられる。
「……ま、まあどうでもいいけどっ!」
む、と赤くなった顔を隠して珊瑚は後を向く。

――惚れてる、だって?

そんなの、知らないさ。

「どうでもいいですかあ……それは困りましたな」
「な、何さ!」

振り返ろうとした彼女の制服のスカートが、ふらり、と。
風も吹いていないのにめくれ上る。

「ほえぁっ……!?」
慌ててスカートを押さえる珊瑚。

「ほう、今日は赤で……」
顎に手をやってふむふむ、と頷く弥勒。

「あ、あんたねえ……何スカートめくってんの! 小学生じゃあるまいし!」
「いえ、私じゃありません、七宝の悪戯ですな」
「…………」

そこで探すのは七宝の影。
七宝は本堂の屋根の上に上ってにやにやと笑っている。
「いやあ、弥勒が見たそうにしておったからのうー」

「……き、貴様……退治する……!」
怒りに震え、また鈴に手をやる珊瑚。

「七宝、止めておきなさい、珊瑚は妖怪退治屋の子孫。妙なことをいたしますと本気で殺されますよ」
弥勒が屋根の上の七宝に言う。

「何じゃと!? まだ子孫なぞおったのか……くわばらくわばら、じゃ……おらは逃げるぞ!」
そしてポン、と軽い音と共に七宝は消えた。

「全く……タチの悪い妖怪飼ってるんだから。会長に似たんじゃないの」
「さあ、どうでしょうね。ああ、折角お前にウチに寄ってもらったというのにもうこんな時間だ」
「え? あ、ホントだ」

薄暗くなるあたり。
観音の手水がきらきらと光る。

「もうお帰りなさい。送って行きますから」
「いいさ、一人で帰れるよ」
「しかし女子一人暗い中歩くのは悪い」
「あたしを誰だと思ってんの、会長?」
ふふん、と笑う珊瑚。

「お前ね……そういうものじゃないんです」
はぁ、と嘆息する弥勒に珊瑚は言う。
「ていうか、会長に付いて来てもらったら家の場所分かるし。分かったら会長押しかけて来そうだから、ヤダ」
そして珊瑚は笑う。
「女好きで有名な会長に、ね」
「……とんだ誤解を」
「軟派で有名な生徒会長サマはどこの誰さ?」
「ならカタブツで有名な鉄の風紀委員長どのはどこの誰だ?」

しばしの沈黙。
お互いぷっと噴き出して笑う。

「ま、いいよ。このくらいなら近いし、一人で大丈夫」
「まあ分かりましたが……今度、お前も家に呼んでくれます?」

突然近づいてきた彼の姿に珊瑚はぎくりと体を強張らせた。
耳元で呼んでくれます? と囁かれてなお体は強張る。

「え……でも……そんな、理由もないし……」
「理由が要るなら……これでどうだ?」

突然自分の唇に柔らかいものが触れて珊瑚は驚いて目を見開く。
目の前にあったのは近いにも近すぎる、愛おしげに目を瞑った弥勒の顔。
恥ずかしさのあまり反射的にぎゅっと目を閉じて、彼を突き離す。

「な、何すんのさ……!」
「お前を愛している、という意味だ」
「っ……そんなの……知らないよ。会長は女の子ならこういうこと平気でするし。……もう、いい」

く、と鞄を持ちあげて珊瑚は踵を返した。
待ちなさい、という弥勒の声にも振り向かず、塔頭の門を抜ける。
長い髪がさらりと揺れた。
家には呼べない。
愛には答えられない。
自分の気持ちがどこへ向いていても。

「全く……どうすればいいのやら。ねえ、七宝?」
いつのまにか側に戻っていた子狐妖怪に弥勒は話しかける。
「おら、難しいことは分からん」
「そうか……」
吐いた溜息は彼女に聞こえたかどうか。

一方珊瑚の方は暗がりの中帰路を辿る。

今日の彼は少し変で、からかっているとしか思えなかった。
そりゃあ、二年間共に生徒会で働いて来た身としては、彼が軟派な男であることを知っていても、その上にある真面目さも誠実さも知ってはいる。
校内でも平気で煙草は吸うわ酒は飲むわで、校則違反ほぼすべてを網羅するような彼に、辟易しつつも対処することに楽しさを感じていたのも事実。
それでも……それは。

――恋、っていうわけ?

少し変だというのが、彼が本気なのだったとしたら。
自分は、どうすればいい。

自分の中に、先ほどの突然のキスで躍り出た秘めた感情。
そっと胸を押さえれば、それは恥ずかしい恥ずかしいと叫びながらも喜びに舞いあがり、心をしっとりと濡らし、軽くする。

「ふっ……ばかじゃなかろうか」

自嘲めいた笑みを浮かべて珊瑚は一番星を見上げる。

好きだって、何だって、あたしにはどだい何もかも無理な話なんだから。
彼がいくら彼女の生い立ちを把握していようと、まだ彼には知らないことがある。

かっこいい、と騒ぎたてとっかえひっかえ付き合いをする女子もクラスにはいる。
だが、そんな付き合いに何の意味がある?
本気で好きなら……もっと。

――あたしが出来るのは、ただずっと側にいることくらい……でもそれも負担、かもね。

悲しげに笑って、彼女はやっとたどりついた自宅――ボロアパートのドアノブに手をかけた。
ぎしりと軋む音は痛みにも似ている。

妖怪の雲母以外誰もいない真っ暗な部屋。

教科書の散乱する床。
ほったらかしの食事のあと。
どこもかしこも物が置かれて混沌の一言に尽きる。
そして。

伏せられた、写真立て。

「……こんなの、会長には見せられないよ」

それは、珊瑚自身の心の闇。

ふ、と薄く笑って珊瑚はドアを閉めた。
真っ暗な室内。

「ふ……ふふふふふふふふふ…………」

ははは、あははははははは。

ドアにもたれかかって笑う。

恋? 愛?

要らないよ、そんなの。

男なんて、みんなみんな、大っ嫌いだ。

それは矛盾する感情。
思いこませる自分への嘘。

珊瑚は嗤う。
心配気に側にやってきた雲母に目もくれず、珊瑚は暗い瞳でただ狭い狭い灰色の玄関に座り込んでいた。


See you the girl who is prisnor of love...



閑話休題、でサブストーリーのつもりです。
設定は全て明かしてはおりませんが、弥勒の風穴は呪いではありません。
ゆえに、過去の苦しみも、ありません。
ただの普通の高校生。
一方珊瑚は、色々ありきの設定にしております。
そこは今後明かしていく予定ですが。
タイトルは「恋の気分で」ですが、まあ甘くはございませんね。
飽くまで「気分で」というわけです。
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.07.09 漆間 周