あなたならかまわない

夜に傾くにつれ、陰の気は増す。
それは負の全てを内包し、残酷で厭らしく、粘りつくような湿気であり、ある時には人を魅了し動けなくしてしまうものである。

行灯がゆら、ゆらと揺れるにつれて、その気まで振り回されるように。
室内に男女の期待と恥じらいとが充ちて昇華される瞬間を今か今かと待っている。

「珊瑚」
先に声をかけたのは男の方。
我慢できずに伸ばされた手が珊瑚の肩をそっと、今までになく優しく掴み抱き寄せる。

「祝言をあげたのだから、そんなに凝り固まらずとも良いだろう?」
「そん……なの……」
耳元で囁かれた男の声は、気遣うようでありながらその裏に隠しきれない欲望を孕んでいて、珊瑚はどきりと体を強張らせた。
そんな彼の声音は、確かに幾度となく聞いた気はしたけれど、それでもあの時は断れたから。

やめて、と言うことは出来ないから、せめてもと伸ばした手が抱きよせるその無骨な手に重なった。
弥勒の手甲のないなめらかな手が、今まで戦い続けてきた珊瑚の手で丸めこまれる。
きゅと握りしめた緊張は手から手へと伝播して、悟った弥勒は珊瑚の手を更に己の手でくるむ。

指をほどき、優しく絡める指先と指先。
その感覚だけで何かが決壊しそうな気さえして、珊瑚はくらりとした。

「そんなに……欲しかった?」
「ああ」
ふぅ、と一息ついて笑うのは彼の返事があまりにも率直だったから。

「なら、どうぞ……」

――夫婦として。

丸めこまれた掌を、さらに自分の掌で丸めこんだ。
彼はではいただきます、と子どもじみた笑みを浮かべて、珊瑚の首筋にそっと唇を寄せる。

びくんと今までになく震える体に、弥勒は大丈夫ですか、と言う。
「だいじょうぶ」
夫婦なのだから、と自分に言い聞かせて珊瑚は弥勒に体を任せようと力を抜く。

夫婦なんて区切りに何か意味があるのだろうか。
弥勒はくすりと笑った。
きっちりとした性格の彼女だからなお意識するのかもしれない。
けれど結ばれたからとか結ばれていないからだとか、そんなことはどこかの姫君でもあるまいし、流浪の身の自分たちには関係なかったのだ。
今までだって。
それでも弥勒が手をつけなかったのは、呪われた右手という戒めのせいでもあるし、珊瑚も珊瑚で明日の命さえ危ない身であることは承知だった。
それ故に手と手を取り合って抱き合いたい日もあった。
それでも、押し殺して歩き続けた。
なら夫婦なんて区切りは恐らく自分たちには堤防でしかない。

遂げたい思いを堰き止める堤防だ。
今夫婦という印が押されたから、平和な毎日が約束されたから、やっとその堤防は開いた。

澱のように溜まったそれぞれの想いが溢れ出す。

口づけは今まで戯れにしてきたものよりも想い深く欲深い。
堪え切れずに漏れる吐息が部屋の気を一気に淫靡な蛇の姿へと変え部屋を包み、昇華の時を待つ。

「あっ……ふ、ああっ……ちょ、いき、できな……ん、んんっ」
深く、もっと深くと貪る唇に珊瑚は抗議するが、彼はそんなことで手を和らげる男ではない。
潤んだ瞳で見つめられては余計に昂るのが男というもの。
唾液と唾液が絡んで、ざらりとした舌が侵食する。

「舌を出しなさい」
言われる通りに顔をあからめつつ行動する珊瑚。
からまる舌は、どうしてこんなに快感を呼ぶのだろう。
ものを喰う口なのに、どうして快を感じる口になるのだろう。

ちゅく、と音を立てて彼の舌が吸う度に全身が甘く痺れる。
き、も、ち、い、い、と声なき声が珊瑚の脳内で木霊する。
愛してるだとか何だとか、かごめのよく言う所謂ロマンチックなことくらい言ってくれたっていいのに、と思っていたのだが、部屋に二人きりになり、行灯の揺らぎを見ていればそんな気持ちさえ薄れていく。
そしてやっと自分で気付いたのだ、自分もまたこんなに求めてくる法師と同じくらい、欲しかったのだという事実に。

「ほ……しさま……」
いつの間にか汗ばんで、そしてあられもなく剥がされて行く着物。
かろうじて身につけているだけで、隠すべき場所なぞ全部見えてしまっている。
背後から抱きしめ責め立てることを止めない彼に珊瑚は応えて行く。
声という形で。

彼の掌が大腿を這う。
つとなぞられれば自然と声が出る。
彼が秘所に触れた時、そこはもう濡れに濡れていた。

「こんなにして……お前も欲しかったのか……?」
くすり、と笑った気配に珊瑚は頬を膨らませた。
「……欲しかった……さ……」
恥じらい混じりに漏らされた声にそうか、と満足気に言って弥勒は珊瑚の体をぐいと押し倒した。

肌蹴た胸元と露になった下半身。
完全な裸体でなく、微妙に身にまとった箇所があるというのが尚厭らしい。
行灯がゆらめく度に互いの汗がてらてらと、欲にまみれて反射する。

豊かな胸に落される口づけ。
敏感な箇所をこれでもかと舌で弄り、開いた両の腕は秘所と腰の線をなぞる。

「あ、う……はっ……」

「珊瑚……」

囁く声にさえ反応するのはなぜだろう、そう思って珊瑚は自身に夢中な夫の姿を見た。
――法師さまだって……こんなに、夢中なんだから……。

何がおかしいのか自分でも分からないし、この状況でよく笑えたものだとは珊瑚自身思ったが、自然と口元に微笑が刻まれる。
ただそれを崩すのが彼の指先と舌と声。

「もう……いいか?」

いつになく焦った声で、いつになく渇望する声で、子供のような目をして男の声音で弥勒は珊瑚を求める。

「いい、よ」

初めての行為にどうなるかなど想像がつかない。
それでも、彼に自分を差し出したい。
他の誰でもなく、彼という存在なら自分を投げだして、身を預けても良いと思ったから、いいと答えた。

しばしの遠慮のような躊躇いの後、弥勒のそれが珊瑚の秘所に押し当てられる。
くっと押されただけでも、何か間違った箇所に穴をあけられそうになる感覚がする。

「い、たい……」
歯を食いしばって漏れた声が弥勒を戸惑わせる。
「……痛いか? やめておくか……?」
労わるように弥勒は珊瑚の頬を撫でる。
ゆるりと開けた瞳は、堪え切れない熱情にも歯止めをかけて自身を気遣ってくれる、この世で一番大切で愛しい男の姿が映る。

「大丈夫……して」

いいんだよ、とそっと頬の手に自分の手を重ねた。
彼にも安心して欲しかった。
自分もまた、安心したかった。

そのまま右手を絡めたまま、弥勒が珊瑚の中へと侵入を試みる。
痛みにひるみそうになる時、きゅと思わず手に力が入れば彼は安心させるかのように指を更に強く絡める。

そして、繋がった瞬間。

「っは……」
汗がつうと双方のこめかみから伝って、指の力が抜けた。
見つめ合って、互いの意思を確認する。
あなたなら構わない、そう珊瑚は目で言った。
ありがとう、と弥勒は瞠目して、痛くないか、と尋ねながら動かして行く。

構わない、構わない。
そう何度も伝えて、ゆるまった筈の指はまた力をこめて握り返す。

結局彼が果てるまで、下半身の痛みが抜けることなどありはしなかった。

それでも、やっとここまで来れたという事実に充足する。
この痛みさえ愛の証だと珊瑚は満足して目を瞑った。

室内に停滞する情事の残滓。

繋がることで快感なぞまだ得られなかったが、心は充足していた。
弥勒が疲れたろう、と珊瑚の汗ばんだ前髪をそっとかきあげ、額に口づけた。

大丈夫、またそう笑って、珊瑚は彼の腕の中で眠ろうとした。
今日は大丈夫ばかり言っていないか、と弥勒が笑う。
そんなことないよ、と答えて珊瑚は彼の厚い胸板に頬をこすりつける。

からかうでもなく、優しく笑って弥勒は珊瑚を抱きしめる。

これから訪れる夫婦の時間の、序章に。

あなたなら構わないと思ったのは間違いではなかった、と珊瑚は眠りに落ちて行く時、思った。


fin.



タイトルはまたもB'zです。
悠汰さんからいただきましたリクエスト、「原作の祝言をあげてから「やっと手を出せる!」とか喜びに浸る弥勒と初々しい珊瑚の初夜」を書かせていただきました。
最初イメージしたのはコミカルな雰囲気だったのですが、喜びも初々しさも、欲望の中に紛れる感じで書かせていただきました。
一応法師は喜んでおります。喜びすぎてビビってます。
珊瑚には初々しさとりいうよ初めての行為の相手を選ぶ不安と、弥勒でよかったという喜びを滲ませてみました。
というのも、二人は祝言の前からデキてるわけで、今でいえば結局愛してる云々でなくあなたに決めた、ということに重きを置きました。
ので、私にとっての珊瑚像はとても凛々しい女性なので、結婚したからには覚悟決めてるんだと思ったのです。
だから恥じらいより行為そのものへの不安になってしまいました。
というわけで完全にリクエスト通りとはいかなかったのですが(申し訳ありません)自分なりの二人の祝言の後の初夜(の、心情)というものが書けたので嬉しく思います。
リクエストありがとうございました。
それでは、ここまで読んで下さってありがとうございました。

2009.09.04 漆間 周